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呂号第十一潜水艦(ろごうだいじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂十一型潜水艦(海中1型)の1番艦。竣工時の艦名は第十九潜水艦。 1917年(大正6年)4月25日、呉海軍工廠で起工。同年10月25日進水。1919年(大正8年)7月31日竣工。竣工時の艦名は第十九
(心得)樋口修一郎 大尉:1921年7月1日 - 1922年1月10日 (心得)高塚省吾 大尉:1922年1月10日 - 1922年5月5日 (心得)高塚省吾 大尉:1922年5月5日 - 1923年12月1日 (心得)三輪茂義 大尉:不詳 - 1922年12月1日 (心得)森野草六郎 大尉:1923年12月1日
大尉:1921年4月1日 - 1922年7月15日 (心得)塹江乙矢 大尉:1922年7月15日 - (心得)岩高賢治 大尉:1922年12月1日 - 1925年6月22日 (兼)高橋真十郎 中佐:1925年6月22日 - 8月1日 小林三良 少佐:1925年8月1日 - 1925年12月1日 吉富説三 少佐:1925年12月1日
(心得)渡部徳四郎 大尉:1919年12月1日 - (心得)渡部徳四郎 大尉:1920年4月20日 - 10月16日 (心得)塹江乙矢 大尉:1920年12月1日 - 1921年4月1日 (心得)箕輪中五 大尉:1921年4月1日 - 1921年11月20日 (心得)岩高賢治 大尉:1921年11月20日
クに到着。1943年(昭和18年)1月6日、トラックを出港したが機関故障により引き返した。修理の後2月3日にトラックを出港。6日、ラバウル北西沖で浮上航走中、零式水上偵察機から誤爆されるも、ダメージは軽微で済んだ。7日にラバウルに到着。8日にラバウルを出港し、ポートモレスビー沖で哨戒を行う。14日1
地潜水部隊を編成。 7月24日 - 北方に派遣となり横須賀を出港。30日、幌筵島に到着。 8月1日 - 幌筵島を出航し、5日、キスカ島に到着。以後、同方面で活動。 8月28日、偵察機がアトカ島東部のナザン湾に敵軽巡洋艦1隻、駆逐艦1隻を発見したと報じられた。これを受けて基地潜
呂号第五百一潜水艦(ろごうだいごひゃくいちせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。ドイツ海軍の潜水艦のIXC40型U1224が日本に譲渡されたもので、ドイツ海軍が日本海軍に無償譲渡したUボート2隻のうちの1隻である。 「呂501」は「呂500」とともに、日本海軍によるインド洋での通商破壊実施を望ん
呂号第五十一潜水艦(ろごうだいごじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂五十一型潜水艦(L1型)の1番艦。竣工時の艦名は第二十五潜水艦。 1918年(大正7年)4月1日、第二十五潜水艇と命名。同年8月10日、三菱神戸造船所で起工。1919年(大正8年)4月1日、「艦艇類別等級別表」の改正によ