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19日、呂50は呉を出港し、ルソン島東方沖に進出し哨戒。22日、味方水上機の誤爆を受ける。水上機は爆雷2発を投下するも、深度40mの位置まで潜航して回避した。25日、ラモン湾北東150浬地点付近で浮上航走中、13号電探が帰投する米艦載機を捕捉したため、追跡。5時間後、潜航中に推進器音を聴取。その後、
呂号第十一潜水艦(ろごうだいじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂十一型潜水艦(海中1型)の1番艦。竣工時の艦名は第十九潜水艦。 1917年(大正6年)4月25日、呉海軍工廠で起工。同年10月25日進水。1919年(大正8年)7月31日竣工。竣工時の艦名は第十九
呂号第五十九潜水艦(ろごうだいごじゅうくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂五十七型潜水艦(L3型)の3番艦。竣工時の艦名は第五十七潜水艦。 1921年(大正10年)5月18日、三菱神戸造船所で起工。1922年(大正11年)6月28日進水。1923年(大正12年)3月20日竣工。竣工時の艦名は第五十七潜水艦、二等潜水艦に類別。
1929年9月20日 大竹寿雄 大尉:1929年9月20日 - 1929年11月30日 長井武夫 大尉:1929年11月30日 - 1931年4月1日 堤道三 大尉:1931年4月1日 - 12月1日 杉浦矩郎 少佐:1931年12月1日 - 1932年8月20日 浜野元一 少佐:1932年8月20日 -
Ref.C12070387400 「官房第一六五五號 當分ノ間除籍艦船ヲ左ノ通假稱シ部內限之ヲ使用ス 昭和十五年四月一日 海軍大臣 假稱名 舊稱名 …廢潛第十一號 舊呂號第五十三潛水艦…」 ^ 『日本海軍の潜水艦』28頁。 ^ 『官報』第2493号、大正9年11月22日。 ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。 (心得)高須三二郎 大尉:1920年7月1日 - 1920年11月30日 (兼・心得)高須三二郎 大尉:1920年11月30日 - (心得)高須三二郎 大尉:1920年11月30日 - 1920年12月1日 白根貞介 少佐:1920年12月1日
呂号第五十八潜水艦(ろごうだいごじゅうはちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂五十七型潜水艦(L3型)の2番艦。竣工時の艦名は第四十七潜水艦。 1921年(大正10年)2月5日、三菱神戸造船所で起工。1922年(大正11年)3月2日進水。同年11月25日竣工。竣工時の艦名は第四十七潜水艦、二等潜水艦に類別。
呂号第三十五潜水艦(ろごうだいさんじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十五型潜水艦(中型)の1番艦。 1941年(昭和16年)の昭和16年度計画(マル臨計画)により、1941年10月9日、三菱重工業神戸造船所で起工。1942年(昭和17年)6月9日進水。1943年(昭和18年)3月25日