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呂号第三十五潜水艦(ろごうだいさんじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十五型潜水艦(中型)の1番艦。 1941年(昭和16年)の昭和16年度計画(マル臨計画)により、1941年10月9日、三菱重工業神戸造船所で起工。1942年(昭和17年)6月9日進水。1943年(昭和18年)3月25日
19日、呂50は呉を出港し、ルソン島東方沖に進出し哨戒。22日、味方水上機の誤爆を受ける。水上機は爆雷2発を投下するも、深度40mの位置まで潜航して回避した。25日、ラモン湾北東150浬地点付近で浮上航走中、13号電探が帰投する米艦載機を捕捉したため、追跡。5時間後、潜航中に推進器音を聴取。その後、
呂号第十三潜水艦(ろごうだいじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂十三型潜水艦(海中2型)の1番艦。竣工時の艦名は第二十三潜水艦。 1918年(大正7年)9月14日、呉海軍工廠で起工。1919年(大正8年)8月26日進水。1920年(大正9年)9月30日竣工。竣工時の艦名は第二十三
第三十潜水艦に改称。1938年(昭和13年)6月1日、艦型名を呂三十型に改正。1942年(昭和17年)4月1日に除籍。戦後に解体された。 速力が13ノットに留まり、鎮守府の警備艦に配属された。 ※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
呂号第三十三潜水艦(ろごうだいさんじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十三型潜水艦(海中6型)の1番艦。 1933年(昭和8年)8月8日 - 呉海軍工廠で起工。 1934年(昭和9年)10月10日 - 進水 1935年(昭和10年)10月7日 - 竣工。舞鶴鎮守府籍に編入。 1937年(昭和12年)5月31日
呂号第五十九潜水艦(ろごうだいごじゅうくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂五十七型潜水艦(L3型)の3番艦。竣工時の艦名は第五十七潜水艦。 1921年(大正10年)5月18日、三菱神戸造船所で起工。1922年(大正11年)6月28日進水。1923年(大正12年)3月20日竣工。竣工時の艦名は第五十七潜水艦、二等潜水艦に類別。
1929年9月20日 大竹寿雄 大尉:1929年9月20日 - 1929年11月30日 長井武夫 大尉:1929年11月30日 - 1931年4月1日 堤道三 大尉:1931年4月1日 - 12月1日 杉浦矩郎 少佐:1931年12月1日 - 1932年8月20日 浜野元一 少佐:1932年8月20日 -
呂号第五十一潜水艦(ろごうだいごじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂五十一型潜水艦(L1型)の1番艦。竣工時の艦名は第二十五潜水艦。 1918年(大正7年)4月1日、第二十五潜水艇と命名。同年8月10日、三菱神戸造船所で起工。1919年(大正8年)4月1日、「艦艇類別等級別表」の改正によ