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1923年12月15日 駒沢克己 大尉:1923年12月15日 - 1924年1月25日 (心得)福沢常吉 大尉:1924年1月25日 - 1925年12月1日 鈴木初三 大尉:1925年12月1日 - 1929年5月15日 新野荒太郎 大尉:1929年5月15日 - 1929年11月1日 鳥居威美 大尉:1929年11月1日
19日、呂50は呉を出港し、ルソン島東方沖に進出し哨戒。22日、味方水上機の誤爆を受ける。水上機は爆雷2発を投下するも、深度40mの位置まで潜航して回避した。25日、ラモン湾北東150浬地点付近で浮上航走中、13号電探が帰投する米艦載機を捕捉したため、追跡。5時間後、潜航中に推進器音を聴取。その後、
呂号第二十九潜水艦(ろごうだいにじゅうきゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂二十九型潜水艦(特中型、海中5型)の1番艦。竣工時の艦名は第六十八潜水艦。 1921年(大正10年)6月2日、川崎造船所で起工。1922年(大正11年)12月5日進水。1923年(大正12年)9月15日竣工。竣工時の
12月28日、呂39は舞鶴を出港し、1944年(昭和19年)1月6日にトラックに到着。17日、特設潜水母艦平安丸(日本郵船、11,616トン)に横付けして補給を行ったのちトラックを出港し、ウォレアイ環礁周辺海域に進出。 30日、ウオッゼ北東200浬地点に進出した米機動部隊の迎撃に向かうよう命ぜら
呂号第四十九潜水艦(ろごうだいよんじゅうきゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十五型潜水艦(中型)の15番艦。 1942年(昭和17年)の昭和17年度計画(マル急計画)により、1942年11月16日、三井玉野造船所で起工。1943年(昭和18年)8月3日進水。1944年(昭和19年)5月1
1929年9月20日 大竹寿雄 大尉:1929年9月20日 - 1929年11月30日 長井武夫 大尉:1929年11月30日 - 1931年4月1日 堤道三 大尉:1931年4月1日 - 12月1日 杉浦矩郎 少佐:1931年12月1日 - 1932年8月20日 浜野元一 少佐:1932年8月20日 -
Ref.C12070387400 「官房第一六五五號 當分ノ間除籍艦船ヲ左ノ通假稱シ部內限之ヲ使用ス 昭和十五年四月一日 海軍大臣 假稱名 舊稱名 …廢潛第十一號 舊呂號第五十三潛水艦…」 ^ 『日本海軍の潜水艦』28頁。 ^ 『官報』第2493号、大正9年11月22日。 ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
呂号第五十一潜水艦(ろごうだいごじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂五十一型潜水艦(L1型)の1番艦。竣工時の艦名は第二十五潜水艦。 1918年(大正7年)4月1日、第二十五潜水艇と命名。同年8月10日、三菱神戸造船所で起工。1919年(大正8年)4月1日、「艦艇類別等級別表」の改正によ