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潜望鏡深度に潜航。呂44が91mほどの距離で攻撃準備を行っているのを確認する。そのため、42mの深度に潜航するも、魚雷の航走音がしなかったため潜望鏡深度に戻ったところ、呂44の潜望鏡を確認した。そのため再度退避したが、反撃の様子は見られなかったため潜望鏡深度
呂号第四十潜水艦(ろごうだいよんじゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十五型潜水艦(中型)の6番艦。 1941年(昭和16年)の昭和16年度計画(マル臨計画)により、1942年8月8日、三菱重工業神戸造船所で起工。1943年(昭和18年)3月6日進水。1943年9月28日に竣工し、二等潜水
12月1日 渡部徳四郎 少佐:1922年12月1日 - 1923年12月1日 荻野仲一郎 少佐:1923年12月1日 - 1925年12月1日 春日末章 少佐:1925年12月1日 - 1927年7月29日 小田為清 大尉:1927年8月20日 - 1929年3月15日 山本岩多 大尉:1929年3月15日
見失わせようとした。0639、ラビーは潜水艦を見失う。その後、ジョージがヘッジホッグ攻撃を行ったが、撃沈には至らなかったうえ、潜水艦を見失ってしまう。その後、北西へ5ノットで向かう潜水艦を探知してヘッジホッグ攻撃を3回行うも失敗し、潜水艦を見失う
大尉:1921年4月1日 - 1922年7月15日 (心得)塹江乙矢 大尉:1922年7月15日 - (心得)岩高賢治 大尉:1922年12月1日 - 1925年6月22日 (兼)高橋真十郎 中佐:1925年6月22日 - 8月1日 小林三良 少佐:1925年8月1日 - 1925年12月1日 吉富説三 少佐:1925年12月1日
同日、雑役船に編入し沈錘船となり公称第2929号と改名。訓練用沈没艦として特務艦朝日の沈没潜水艦救難実験や訓練に使用された。 1937年(昭和12年)5月31日、船体の老朽化や、朝日の救難装備の撤去が決まったため、沈錘船は製鋼材料とすることとなった。これを受け、公称第2929号は同年6月26日に廃船となった。
(心得)渡部徳四郎 大尉:1919年12月1日 - (心得)渡部徳四郎 大尉:1920年4月20日 - 10月16日 (心得)塹江乙矢 大尉:1920年12月1日 - 1921年4月1日 (心得)箕輪中五 大尉:1921年4月1日 - 1921年11月20日 (心得)岩高賢治 大尉:1921年11月20日
クに到着。1943年(昭和18年)1月6日、トラックを出港したが機関故障により引き返した。修理の後2月3日にトラックを出港。6日、ラバウル北西沖で浮上航走中、零式水上偵察機から誤爆されるも、ダメージは軽微で済んだ。7日にラバウルに到着。8日にラバウルを出港し、ポートモレスビー沖で哨戒を行う。14日1