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少佐:1920年12月1日 - 1921年4月1日 (心得)荻野仲一郎 大尉:1921年4月1日 - 1922年3月1日 (心得)大橋龍男 大尉:1922年3月1日 - 12月1日 (心得)中邑元司 大尉:1922年12月1日 - 1924年5月31日 (心得)上条深志 大尉:1924年5月31日 - 1925年7月1日
ラバウルを出航。ニューギニア南方で活動。 3月30日 - ラバウルを出航。ガダルカナル島東方で活動。 4月29日 - ラバウルを出航。ラビ南方海面で活動。 5月9日 - ラビ南方で敵情報告後に消息不明。 5月14日 - ラビ付近で米魚雷艇PT-150、PT-152の攻撃により戦没。 6月2日 - ニューギニア南東で亡失と認定。 ※『艦長たちの軍艦史』456頁による。
(心得)樋口修一郎 大尉:1921年7月1日 - 1922年1月10日 (心得)高塚省吾 大尉:1922年1月10日 - 1922年5月5日 (心得)高塚省吾 大尉:1922年5月5日 - 1923年12月1日 (心得)三輪茂義 大尉:不詳 - 1922年12月1日 (心得)森野草六郎 大尉:1923年12月1日
大尉:1921年4月1日 - 1922年7月15日 (心得)塹江乙矢 大尉:1922年7月15日 - (心得)岩高賢治 大尉:1922年12月1日 - 1925年6月22日 (兼)高橋真十郎 中佐:1925年6月22日 - 8月1日 小林三良 少佐:1925年8月1日 - 1925年12月1日 吉富説三 少佐:1925年12月1日
同日、雑役船に編入し沈錘船となり公称第2929号と改名。訓練用沈没艦として特務艦朝日の沈没潜水艦救難実験や訓練に使用された。 1937年(昭和12年)5月31日、船体の老朽化や、朝日の救難装備の撤去が決まったため、沈錘船は製鋼材料とすることとなった。これを受け、公称第2929号は同年6月26日に廃船となった。
クに到着。1943年(昭和18年)1月6日、トラックを出港したが機関故障により引き返した。修理の後2月3日にトラックを出港。6日、ラバウル北西沖で浮上航走中、零式水上偵察機から誤爆されるも、ダメージは軽微で済んだ。7日にラバウルに到着。8日にラバウルを出港し、ポートモレスビー沖で哨戒を行う。14日1
※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。 春日末章 少佐:1922年12月1日 - 1923年6月20日 春日末章 少佐:1923年6月20日 - 1924年12月1日 道野清 大尉:1924年12月1日 - 1925年12月1日
呂号第二十九潜水艦(ろごうだいにじゅうきゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂二十九型潜水艦(特中型、海中5型)の1番艦。竣工時の艦名は第六十八潜水艦。 1921年(大正10年)6月2日、川崎造船所で起工。1922年(大正11年)12月5日進水。1923年(大正12年)9月15日竣工。竣工時の