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伊号第百七十七潜水艦(いごうだいひゃくななじゅうななせんすいかん、旧字体:伊號第百七十七潜水艦)は、大日本帝国海軍の潜水艦。伊百七十六型潜水艦(海大七型、新海大型)の2番艦である。1943年(昭和18年)5月14日、オーストラリア大陸東海岸で行動中に連合国の病院船を魚雷攻撃で撃沈、国際問題となった(日本の戦争犯罪一覧)。
Crown、3,353トン)を発見し、1645に魚雷を発射。魚雷はアイアン・クラウンの左舷船橋後方に命中し、同船は1分足らずで沈没した。アイアン・クラウンと共に航行していた豪鉱石運搬船アイアン・キング(Iron King、4
終戦後の1945年9月15日に除籍された。撃沈総数は1隻で、撃沈トン数は771トンである。 海底の船体は漁師に知られており、地元有志が2023年10月12日、水中ドローンによる撮影に初めて成功した。 ※『艦長たちの軍艦史』387-388頁による。階級は就任時のもの。 香宗我部譲 少佐:1927年6月1日 - 香宗我部譲
伊号第三百七十二潜水艦(いごうだいさんびゃくななじゅうにせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。伊三百六十一型潜水艦の12番艦。本艦のみ基本計画番号がS51Bと改められており、俗に潜輸改(せんゆかい)とも呼ばれる。設計時から魚雷発射管がなく、物資搭載量が増加している。横須賀港在中泊に敵空母機の攻撃を受け沈没した。
伊号第十七潜水艦(いごうだいじゅうななせんすいかん、旧字体:伊號第十七潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十五型潜水艦(巡潜乙型)の2番艦。アメリカ合衆国本土を艦載砲で攻撃した最初の潜水艦として知られる。 1937年(昭和12年)の第三次海軍軍備補充計画(③計画)により、1938年(昭和13年)4月18
伊号第七十潜水艦(いごうだいななじゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十八型潜水艦(海大VI型a)の3番艦。 1933年(昭和8年)1月25日 - 佐世保海軍工廠で起工。 1934年(昭和9年)6月14日 - 進水 1935年(昭和10年)11月9日 - 竣工。呉鎮守府籍となり第12潜水隊に編入。
伊号第百七十四潜水艦(いごうだいひゃくななじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百七十四型潜水艦(海大VI型b)の1番艦。竣工時の艦名は伊号第七十四潜水艦(いごうだいななじゅうよんせんすいかん)。 1934年(昭和9年)10月16日 - 佐世保海軍工廠で起工。 1937年(昭和12年)3月28日
伊号第百七十八潜水艦(いごうだいひゃくななじゅうはちせんすいかん、旧字体:伊號第百七十八潜水艦)は、大日本帝国海軍の潜水艦。伊百七十六型潜水艦(海大七型、新海大型)の3番艦。1943年オーストラリア東方で沈没認定。 1941年(昭和16年)5月12日 - 三菱重工業神戸造船所にて起工 1942年(昭和17年)2月24日