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7ノットに低下している。同様にモーターの出力も1,200馬力から600馬力となり、水中速力は6.2ノットに低下した。反面巡潜甲型に比べて燃料搭載量が50t程度増えており、航続力は増大している。竣工が昭和19年であることから22号電探を装備していたと推定されるが、図面と写真が現存しておらず確認不能である。
撃沈総数は8隻であり、撃沈トン数は42,703トンである。撃沈隻数では帝国海軍潜水艦の中では伊165と並んで第5位を誇る(撃沈トン数の5位は47,942トンを撃沈した伊37)。撃破総数は3隻であり、撃破トン数は41,099トンである。 山田隆 中佐:1940年3月25日 - 1940年9月26日
5日、艤装員事務所を神戸川崎造船所内に設置し事務を開始。25日、進水。 終戦時未成。8月17日、工事中止が発令され工程99%で工事中止。運転諸公試が未済で引渡し直前の状態だった。 1946年4月16日、もしくは5月6日、紀伊水道でアメリカ海軍により海没処分された。 木村八郎 大尉:1945年6月15日
伊号第百七十二潜水艦(いごうだいひゃくななじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十八型潜水艦(海大VI型a)の5番艦。竣工時の艦名は伊号第七十二潜水艦。 1933年(昭和8年)12月16日 - 三菱神戸造船所で起工。 1935年(昭和10年)4月6日 - 進水 1937年(昭和12年)1月7日
伊号第百六十二潜水艦(いごうだいひゃくろくじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十一型潜水艦(海大IV型)の2番艦。竣工時の艦名は伊号第六十二潜水艦。 1927年(昭和2年)4月20日 - 三菱神戸造船所で起工。(徳川武定海軍技術中将による建造。姉妹艦に伊61と伊64があり本艦のネームシップは伊61。)
伊号第百五十二潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうにせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。艦級は海大2型で同型艦はない。1925年に竣工。竣工時は伊号第五十二潜水艦(初代)という名称であったが1942年に改称され伊号第百五十二潜水艦と称した。実戦に投入されることなく老朽化のために1942年8月1日に除籍。
5月7日、伊123は横須賀を出港し、17日にクェゼリンに到着。19日、第2次K作戦の支援のためにクェゼリンを出港し、フレンチフリゲート礁に向かう。30日、伊123はフレンチフリゲート礁に到着するが、同地にはすでに機雷敷設艦プレブル(英語版) (USS Preble, DD-345/DM-20,
伊号第百八十二潜水艦(いごうだいひゃくはちじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百七十六型潜水艦(海大VII型)の7番艦。 1941年(昭和16年)11月10日 - 横須賀海軍工廠で起工。 1942年(昭和17年)5月30日 - 進水 1943年(昭和18年)5月10日 -