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大尉:1945年6月15日 - 1945年8月11日 潜水艦長 青木滋 大尉:1945年8月11日 - 1945年10月16日 注釈 ^ 蓄電池の型式は兵器還納目録による。本艦だけが一号十二型を装備した理由は明らかでない。 ^ 本来の艦名表記は波號第二百十潛水艦。 脚注 海軍省 昭和20年3月15日付 内令員第519号。
昭和20年8月31日付 大阪警備府『大阪警備府管下艦艇(未成艦ヲ含ム)目録』。 昭和20年8月31日付 大阪警備府『大阪警備府管下艦艇船体兵器機関艤装品目録』。 昭和20年8月31日付 近畿海軍監督部『大阪方面所在艤装艦艇船体兵器機関艤装品目録』。 『新三菱神戸造船所五十年史』、新三菱重工業株式会社神戸造船所、1957年。
7月27日進水し、波号第二百二十九潜水艦と命名されて本籍を佐世保鎮守府に定められ、波二百一型潜水艦の28番艦に定められる。 終戦時未成。8月17日、工事中止が発令され工程75%で工事中止。のち悪天候のため浸水し、佐世保港内で着底した。 1946年10月から12月にかけて、佐世保船舶工業で解体された。
波号第百二潜水艦(はごうだいひゃくにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の2番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。 マル戦計画の輸送潜水艦小型、第4601号艦型の2番艦、仮称艦名第4602号艦として計画。1944年6月8日、川崎重工業泉州工場で仮称艦名第4601号艦と同時に起
終戦後の1945年9月15日に除籍された。撃沈総数は1隻で、撃沈トン数は771トンである。 海底の船体は漁師に知られており、地元有志が2023年10月12日、水中ドローンによる撮影に初めて成功した。 ※『艦長たちの軍艦史』387-388頁による。階級は就任時のもの。 香宗我部譲 少佐:1927年6月1日 - 香宗我部譲
大阪警備府『大阪警備府管下艦艇(未成艦ヲ含ム)目録』。 昭和20年8月31日付 大阪警備府『大阪警備府管下艦艇船体兵器機関艤装品目録』。 昭和20年8月31日付 近畿海軍監督部『大阪方面所在艤装艦艇船体兵器機関艤装品目録』。 『新三菱神戸造船所五十年史』、新三菱重工業株式会社神戸造船所、1957年。 世界の艦船
7月2日進水し、波号第二百十八潜水艦と命名されて波二百一型潜水艦の18番艦に定められ、本籍を佐世保鎮守府に定められる。7日、艤装員事務所を佐世保海軍工廠内に設置し事務を開始。 終戦時未成。8月17日、工事中止が発令され工程90%で工事中止。のち悪天候のため浸水し、佐世保港内で着底した。 1946年10月から12月にかけて、佐世保船舶工業で解体された。
波号第二百十六潜水艦(はごうだいにひゃくじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波二百一型潜水艦の16番艦。太平洋戦争の終戦後に竣工し、海没処分された。 マル戦計画の潜水艦小、第4911号艦型の16番艦、仮称艦名第4926号艦として計画。1945年5月27日、佐世保海軍工廠で起工。