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伊号第百五十五潜水艦(いごうだいひゃくごじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百五十三型潜水艦(海大III型a)の3番艦。竣工時の艦名は伊号第五十五潜水艦(初代)。 1924年(大正13年)4月1日 - 呉海軍工廠で起工。当初の艦名は第七十八潜水艦。 11月1日 - 伊号第五十五潜水艦に改名。
終戦後の1945年9月15日に除籍された。撃沈総数は1隻で、撃沈トン数は771トンである。 海底の船体は漁師に知られており、地元有志が2023年10月12日、水中ドローンによる撮影に初めて成功した。 ※『艦長たちの軍艦史』387-388頁による。階級は就任時のもの。 香宗我部譲 少佐:1927年6月1日 - 香宗我部譲
練部隊の第六艦隊第11潜水戦隊に編入されて訓練に従事。 1944年(昭和19年)3月10日に第8潜水隊に編入。同日、「伊52潜」はフランスのロリアンへ向けて呉を出港。「伊52潜」は「モミ」(8月には「ギンマツ」に変更)という暗号名で呼ばれた。派遣目的は技術習得のためドイツに派遣される技術者の輸送およ
在泊を報告。0730に搭載機を揚収した後、14ノットで南に向かった。26日早朝、メルボルンを飛行偵察し、重巡1、軽巡5、輸送船19の在泊を報告。搭載機の迎撃のために戦闘機2機が発進したが見つかることはなく、対空砲火を受けることもなかった。 3月1日、ホバートを飛行偵察し、輸送船5の在泊
伊号第三百五十二潜水艦(いごうだいさんびゃくごじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。伊三百五十一型潜水艦の2番艦。建造中に被爆し沈没した。 マル追計画の潜水艦補、第655号艦型の2番艦、仮称艦名第656号艦として計画。1943年11月8日、呉海軍工廠で起工。 1944年4月5日、伊号第三百五十二
伊号第五十五潜水艦(いごうだいごじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊五十二型潜水艦(丙型改潜水艦)として完成した最後の艦。艦名としては二代目。 初代伊55については伊号第百五十五潜水艦、または伊百五十三型潜水艦を参照のこと。 1941年(昭和16年)の昭和17年度計画(マル追計画)により呉
7ノットに低下している。同様にモーターの出力も1,200馬力から600馬力となり、水中速力は6.2ノットに低下した。反面巡潜甲型に比べて燃料搭載量が50t程度増えており、航続力は増大している。竣工が昭和19年であることから22号電探を装備していたと推定されるが、図面と写真が現存しておらず確認不能である。
撃沈総数は8隻であり、撃沈トン数は42,703トンである。撃沈隻数では帝国海軍潜水艦の中では伊165と並んで第5位を誇る(撃沈トン数の5位は47,942トンを撃沈した伊37)。撃破総数は3隻であり、撃破トン数は41,099トンである。 山田隆 中佐:1940年3月25日 - 1940年9月26日