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伊号第百七十七潜水艦(いごうだいひゃくななじゅうななせんすいかん、旧字体:伊號第百七十七潜水艦)は、大日本帝国海軍の潜水艦。伊百七十六型潜水艦(海大七型、新海大型)の2番艦である。1943年(昭和18年)5月14日、オーストラリア大陸東海岸で行動中に連合国の病院船を魚雷攻撃で撃沈、国際問題となった(日本の戦争犯罪一覧)。
今後出撃スベキ伊号第三十六潜水艦、伊号第三十七潜水艦、伊号第四十七潜水艦ニハ「回天」ヲ搭載ノコトトシ 比島方面ノ敵上陸点付近敵艦隊ニ対シ好機ニ投ズル挺身攻撃ヲ実施致度準備竝ニ研究ヲ進メアリ 〕 ^ 1944年(昭和19年)8月より大津島には回天訓練基地(第一特別基地隊、第二部隊)が置かれており、9月より回天の訓練がおこ
伊号第三百七十四潜水艦(いごうだいさんびゃくななじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。普遍的には伊三百七十三型潜水艦(丁型改)の2番艦とされているが、法令上は伊三百六十一型潜水艦の14番艦。 マル戦計画の潜水艦丁、第2961号艦型の3番艦、仮称艦名第2963号艦として計画。仮称艦名第29
伊号第十七潜水艦(いごうだいじゅうななせんすいかん、旧字体:伊號第十七潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十五型潜水艦(巡潜乙型)の2番艦。アメリカ合衆国本土を艦載砲で攻撃した最初の潜水艦として知られる。 1937年(昭和12年)の第三次海軍軍備補充計画(③計画)により、1938年(昭和13年)4月18
伊号第七十潜水艦(いごうだいななじゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十八型潜水艦(海大VI型a)の3番艦。 1933年(昭和8年)1月25日 - 佐世保海軍工廠で起工。 1934年(昭和9年)6月14日 - 進水 1935年(昭和10年)11月9日 - 竣工。呉鎮守府籍となり第12潜水隊に編入。
伊号第四百潜水艦(いごうだいよんひゃくせんすいかん)は、第二次世界大戦中の大日本帝国海軍の潜水艦。伊四百型潜水艦の一番艦。 潜水空母と俗称される本艦は、独創的な構造で3機の特殊攻撃機『晴嵐』を搭載し、かつ、地球一周半分の長大な航続距離を持っており、日本海軍最高の秘密兵器といわれた。この能力は、アメ
伊号第四百四潜水艦(いごうだいよんひゃくよんせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。伊四百型潜水艦の4番艦。太平洋戦争後に解体された。 改⑤計画の潜水艦特、第5231号艦型の5番艦、仮称艦名第5235号艦として計画。1943年11月8日、呉海軍工廠で起工。 1944年6月5日、伊号第四百
伊号第四十潜水艦(いごうだいよんじゅうせんすいかん、旧字体:伊號第四十潜水艦)は、大日本帝国海軍が用いた伊四十型潜水艦(巡潜乙型改一)の1番艦。ただし、艦艇類別等級別表においては伊十五型潜水艦の21番艦。 1941年(昭和16年)の昭和17年度計画(マル急計画)により、呉海軍工廠で1942年3月1