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伊号第百七十二潜水艦(いごうだいひゃくななじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十八型潜水艦(海大VI型a)の5番艦。竣工時の艦名は伊号第七十二潜水艦。 1933年(昭和8年)12月16日 - 三菱神戸造船所で起工。 1935年(昭和10年)4月6日 - 進水 1937年(昭和12年)1月7日
伊号第百七十七潜水艦(いごうだいひゃくななじゅうななせんすいかん、旧字体:伊號第百七十七潜水艦)は、大日本帝国海軍の潜水艦。伊百七十六型潜水艦(海大七型、新海大型)の2番艦である。1943年(昭和18年)5月14日、オーストラリア大陸東海岸で行動中に連合国の病院船を魚雷攻撃で撃沈、国際問題となった(日本の戦争犯罪一覧)。
伊号第三百七十三潜水艦(いごうだいさんびゃくななじゅうさんせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。艦級は丁型改(ていがたかい)で、同型の完成艦はない。輸送任務に特化され魚雷発射管を有していないので、潜水状態では攻撃を行うことはできなかった。1945年(昭和20年)4月14日に竣工し、終戦直前の8
5月7日、伊123は横須賀を出港し、17日にクェゼリンに到着。19日、第2次K作戦の支援のためにクェゼリンを出港し、フレンチフリゲート礁に向かう。30日、伊123はフレンチフリゲート礁に到着するが、同地にはすでに機雷敷設艦プレブル(英語版) (USS Preble, DD-345/DM-20,
Crown、3,353トン)を発見し、1645に魚雷を発射。魚雷はアイアン・クラウンの左舷船橋後方に命中し、同船は1分足らずで沈没した。アイアン・クラウンと共に航行していた豪鉱石運搬船アイアン・キング(Iron King、4
終戦後の1945年9月15日に除籍された。撃沈総数は1隻で、撃沈トン数は771トンである。 海底の船体は漁師に知られており、地元有志が2023年10月12日、水中ドローンによる撮影に初めて成功した。 ※『艦長たちの軍艦史』387-388頁による。階級は就任時のもの。 香宗我部譲 少佐:1927年6月1日 - 香宗我部譲
遇した連合国の船について尋問し、衣服と救命ボートの帆、地図、食糧、懐中電灯を没収。衣服の一部とマッチ、酒を生存者に渡し、現場を離れた。7月9日、ペルシア湾を偵察。8月17日にペナンに到着した。22日、ペナンを出港し、シンガポールに移動した。 9月5日、伊37はシンガポールを出港し、ペナンに移動。その
1945年1月10日、艤装員事務所を呉海軍工廠内に設置し事務を開始。6月25日竣工し、艤装員事務所を撤去。第六艦隊第十一潜水戦隊に編入され、消磁と自差修正ののち、同日から伊予灘で訓練に従事。29日、病人発生のため呉へ回航。同日、再び伊予灘で訓練に従事。 終戦時は内海西部に所在。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍。