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5月7日、伊123は横須賀を出港し、17日にクェゼリンに到着。19日、第2次K作戦の支援のためにクェゼリンを出港し、フレンチフリゲート礁に向かう。30日、伊123はフレンチフリゲート礁に到着するが、同地にはすでに機雷敷設艦プレブル(英語版) (USS Preble, DD-345/DM-20,
スカ島撤退作戦に参加するため横須賀を出港し、27日0407に幌筵に到着。30日0800、伊2は弾薬を詰めた箱250箱、12.7mm機銃弾140発、7.7mm機銃弾2380発、小銃弾2800発、郵便物47個、治療品3個、食料若干を積んで幌筵を出港。6月4日1820、キスカ島キスカ湾に到着して輸送物資を
23隻と共に処分される「ローズエンド作戦」に参加。アメリカ軍の実艦標的として海没処分となった。 正確な沈没地点は長い間不明であったが2015年7月に船影を海上保安庁が、8月7日に日本テレビの報道番組真相報道バンキシャの取材チームが五島列島沖に沈む本艦と見られる格納筒を発見したという。
終戦後の1945年9月15日に除籍された。撃沈総数は1隻で、撃沈トン数は771トンである。 海底の船体は漁師に知られており、地元有志が2023年10月12日、水中ドローンによる撮影に初めて成功した。 ※『艦長たちの軍艦史』387-388頁による。階級は就任時のもの。 香宗我部譲 少佐:1927年6月1日 - 香宗我部譲
大尉:就任年月日不明 - 1945年11月29日 注釈 ^ a b 本艦の竣工日は丸スペシャル『日本の潜水艦III』p. 45、昭和20年6月20日付の各令達による。丸スペシャル『日本の潜水艦I』p. 75、世界の艦船『日本潜水艦史』(1993)p. 90、世界の艦船『日本潜水艦史』(2013)p. 108、明治百年史叢書『昭和造船史
伊号第二十三潜水艦(いごうだいにゅうさんせんすいかん、旧字体:伊號第二十三潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十五型潜水艦の5番艦。 1937年(昭和12年)も第三次海軍補充計画(③計画)によって計画され、1938年(昭和13年)12月8日に横須賀海軍工廠で起工、1939年(昭和14年)11月24日に
伊号第三百七十二潜水艦(いごうだいさんびゃくななじゅうにせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。伊三百六十一型潜水艦の12番艦。本艦のみ基本計画番号がS51Bと改められており、俗に潜輸改(せんゆかい)とも呼ばれる。設計時から魚雷発射管がなく、物資搭載量が増加している。横須賀港在中泊に敵空母機の攻撃を受け沈没した。
伊号第三百五十二潜水艦(いごうだいさんびゃくごじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。伊三百五十一型潜水艦の2番艦。建造中に被爆し沈没した。 マル追計画の潜水艦補、第655号艦型の2番艦、仮称艦名第656号艦として計画。1943年11月8日、呉海軍工廠で起工。 1944年4月5日、伊号第三百五十二