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大潮(おおしお / おほしほ)は、日本海軍の朝潮型駆逐艦2番艦である。1937年(昭和12年)10月に竣工し、太平洋戦争ではバリ島沖海戦、ガダルカナル島からの撤退作戦などで活躍した。1943年(昭和18年)2月、輸送船団護衛中にアドミラルティ諸島沖で米潜水艦の雷撃を受け、沈没した。
早潮(はやしお / はやしほ)は、日本海軍の駆逐艦。陽炎型駆逐艦の5番艦である。1942年(昭和17年)11月下旬、ラエ沖で空襲により大破、沈没した。戦後、艦名は海上自衛隊のはやしお型潜水艦「はやしお」、はるしお型潜水艦「はやしお」に継承された。 1940年(昭和15年)8月末に浦賀船渠で完成した陽
同断』 ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.3-4『(イ)矢矧(略)』『(二)第四駆逐隊(1)満潮野分朝雲 経過概ネ矢矧ト同断』 ^ a b #S1910十戦隊日誌pp.6-7『(ニ)(1)満潮 十六日迄ノ経過概ネ矢矧ト同断
職され、同艦沈没時に戦死した(1943年7月20日)。 12月3日、田中少将の指揮下、駆逐艦10隻(31駆《長波、巻波》、15駆《親潮、黒潮、陽炎》、24駆《江風、涼風》、4駆《嵐、野分》、27駆《夕暮》)でガ島へのドラム缶輸送を実施、「巻波」が中破する。 12月7日、佐藤大佐(第15駆逐隊司令)の
^ 「昭和18年3月20日(発令3月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1076号 pp.15-16」 アジア歴史資料センター Ref.C13072090100 ^ #内令昭和17年7月分(3)p.28『内令第千三百二十四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年七月二十日
5月1日、野間口兼知中佐を夏潮艤装員長に任命した。 5月3日、藤永田造船所に夏潮艤装員事務所を設置する。 同年8月31日、「夏潮」は竣工した。浦賀船渠で建造していた陽炎型5番艦「早潮」と同日付の竣工であった。呉鎮守府籍。野間口艤装員長は制式に夏潮駆逐艦長(初代)となる。夏潮艤装員事務所も撤去された。
独海軍のS90。船首楼を備えて航洋性を向上させた。 英海軍の「スウィフト」。飛躍的に大型化した。 旧独海軍のS-113。大口径砲を備えた。 1919年のヴェルサイユ条約締結ののち、ドイツが第1次大戦中に建造した大型駆逐艦であるS-113・V-116は、賠償艦として、それぞれフランスとイタリアに引き
嶋田繁太郎|第八驅逐隊ノ項中「大潮、満潮、」ヲ削ル|第九驅逐隊ノ項中「山雲、」ヲ削ル』 ^ a b #内令昭和17年5月(2)pp.26-27『内令第八百五十一號 横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 大潮 驅逐艦 満潮 驅逐艦 山雲 右特別役務驅逐艦ト定ム|昭和十七年五月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎』