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四戰隊(摩耶鳥海缺)四驅(2D缺)十驅逐隊(秋雲缺)七驅逐隊、朝潮荒潮ヲ率ヰ東京灣出撃灣外ニテ摩耶ヲ併セ十九日早朝敵ノ進攻地點ヲ推定索敵ニ努メタルモ敵情ヲ得ズ/三.二十日中敵ノ補給或ハ再度空襲準備地點ヲ水偵索敵ヲ行ヒタルモ又敵情ニ關シ得ル所ナシ/四.二十日午後ハ五戰隊(那智缺)祥鳳及二水戰(驅逐隊缺
大潮(おおしお / おほしほ)は、日本海軍の朝潮型駆逐艦2番艦である。1937年(昭和12年)10月に竣工し、太平洋戦争ではバリ島沖海戦、ガダルカナル島からの撤退作戦などで活躍した。1943年(昭和18年)2月、輸送船団護衛中にアドミラルティ諸島沖で米潜水艦の雷撃を受け、沈没した。
同断』 ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.3-4『(イ)矢矧(略)』『(二)第四駆逐隊(1)満潮野分朝雲 経過概ネ矢矧ト同断』 ^ a b #S1910十戦隊日誌pp.6-7『(ニ)(1)満潮 十六日迄ノ経過概ネ矢矧ト同断
職され、同艦沈没時に戦死した(1943年7月20日)。 12月3日、田中少将の指揮下、駆逐艦10隻(31駆《長波、巻波》、15駆《親潮、黒潮、陽炎》、24駆《江風、涼風》、4駆《嵐、野分》、27駆《夕暮》)でガ島へのドラム缶輸送を実施、「巻波」が中破する。 12月7日、佐藤大佐(第15駆逐隊司令)の
^ 「昭和18年3月20日(発令3月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1076号 pp.15-16」 アジア歴史資料センター Ref.C13072090100 ^ #内令昭和17年7月分(3)p.28『内令第千三百二十四號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年七月二十日
5月1日、野間口兼知中佐を夏潮艤装員長に任命した。 5月3日、藤永田造船所に夏潮艤装員事務所を設置する。 同年8月31日、「夏潮」は竣工した。浦賀船渠で建造していた陽炎型5番艦「早潮」と同日付の竣工であった。呉鎮守府籍。野間口艤装員長は制式に夏潮駆逐艦長(初代)となる。夏潮艤装員事務所も撤去された。
早霜を発見して近寄ってきた。 燃料に海水が混じったため早霜の使用可能燃料は5トン程度しかなく、沖波も余裕はなかったが早霜に横付して補給を開始する。この時、早霜と沖波は藤波が2隻から約10km程沖合を航行するのを発見した。だが、藤波は空襲を受け、早霜と沖波の目前で轟沈した。 また早霜
早波もハーダーの雷撃により撃沈された。 早波は、1942年度(マル急計画)仮称第340号艦として1942年(昭和17年)1月15日、舞鶴海軍工廠で起工。舞鶴海軍工廠は本艦をふくめ夕雲型6隻(夕雲、巻波、早波、浜波、沖波、早霜)の建造を担当した。 7月10日、建造中の駆逐艦(第340号艦)は『早波