语言
没有数据
通知
无通知
早霜を発見して近寄ってきた。 燃料に海水が混じったため早霜の使用可能燃料は5トン程度しかなく、沖波も余裕はなかったが早霜に横付して補給を開始する。この時、早霜と沖波は藤波が2隻から約10km程沖合を航行するのを発見した。だが、藤波は空襲を受け、早霜と沖波の目前で轟沈した。 また早霜
早潮(はやしお / はやしほ)は、日本海軍の駆逐艦。陽炎型駆逐艦の5番艦である。1942年(昭和17年)11月下旬、ラエ沖で空襲により大破、沈没した。戦後、艦名は海上自衛隊のはやしお型潜水艦「はやしお」、はるしお型潜水艦「はやしお」に継承された。 1940年(昭和15年)8月末に浦賀船渠で完成した陽
C14121196200。 『昭和17年度 帝国海軍戦時編制(内示案) 昭和16.9.12/ 昭和17年度戦時駆逐隊・潜水隊・水雷隊・掃海隊・驅潛隊・通信隊・航空隊編制予定表 昭和17年度警備隊・防備隊附属艦艇及防備機関編制予定表 昭和17年度戦時艦船飛行機搭載予定表/第1表~第9表』。Ref
沖波(おきなみ)は、日本海軍の駆逐艦。夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の14番艦である。 一等駆逐艦沖波(おきなみ)は、日本海軍が太平洋戦争で運用した駆逐艦。 舞鶴海軍工廠で、1942年(昭和17年)8月から、1943年(昭和18年)12月上旬にかけて建造された。 竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属した。
巻波(まきなみ)は、日本海軍の駆逐艦。 夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の5番艦である。艦名は砕波の一種に由来し、海上自衛隊の護衛艦2隻(初代まきなみ、2代まきなみ)に引き継がれた。 一等駆逐艦巻波(まきなみ)は、日本海軍が舞鶴海軍工廠で1941年(昭和16年)4月から1942年(昭和17年)8月にかけ
龍田や姉妹艦等と内海西部で訓練に従事した。 8月20日付で、夕雲型駆逐艦3隻(涼波、早波、藤波)は新編の第32駆逐隊に所属する。第32駆逐隊は9月30日付で第二水雷戦隊に編入された。 10月中旬、第32駆逐隊(早波、涼波、藤波)は丁三号輸送部隊としてトラック泊地に進出する。
1943年(昭和18年)7月31日、竣工した夕雲型11番艦藤波と夕雲型12番艦早波(早波艦長清水逸郎中佐、海兵51期)は、第十一水雷戦隊に編入。 第十一水雷戦隊(司令官木村進少将〈海軍兵学校40期〉)は駆逐艦の訓練を主任務とする水雷戦隊で、本艦編入の直前に夕雲型10番艦涼波(涼波艦長神山昌雄中佐、海兵51期)も、十一水戦に加わっている。
「大波」では、第31駆逐隊司令香川清登大佐および吉川潔艦長含め、全乗組員が戦死した。 1939年度(④計画)仮称第122号艦として藤永田造船所で建造。 1942年(昭和17年)6月20日、藤永田造船所の本艦に『大波』、浦賀船渠で建造中の駆逐艦に『清波』の艦名が与えられた。同日付で「大波」と「清波」は夕雲型駆逐艦に類別された。