语言
没有数据
通知
无通知
第十七号掃海艇(だいじゅうななごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十七号型掃海艇の1番艦。 1935年(昭和10年)1月28日、大阪鉄工所桜島工場で起工。同年8月3日進水。1936年(昭和11年)1月15日に竣工。第十七号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。
第十九号型掃海艇 (だいじゅうきゅうごうがたそうかいてい)は大日本帝国海軍の掃海艇。同型艇17隻。 ④計画で6隻とマル急計画で28隻、更に改⑤計画では36隻が計画された。艦型は先の第七号型と大きく違わないが、主砲は12cmM型砲3門に変更された。他国の掃海艇と比べて砲戦能力が大きく、そのため沿岸哨
第十三号型掃海艇(だいじゅうさんごうがたそうかいてい)は日本海軍の掃海艇。同型艇4隻。海軍省が定めた艦艇類別等級別表では、第十三号から第十八号までの6隻を「第十三号型」としている。 なお第13号、第14号を第十三号型、第15号、第16号を第十五号型と分ける文献もあるが、ここでは一括して扱う。
1946年7月10日 シンガポールケッペル湾外で海没処分。 第九号掃海艇 (3代) 1939年2月15日 舞鶴工廠で竣工 1942年2月2日 モルッカ諸島アンボンで掃海中に触雷して沈没。 第十号掃海艇 (3代) 1939年2月15日 石川島造船で竣工 1941年12月10日 フィリピンビカン湾でアメリカ軍機の銃撃により搭載爆雷が誘爆して沈没。
第五号型掃海艇(だいごごうがたそうかいてい)は日本海軍の掃海艇。同型艇2隻。海軍省が定めた艦艇類別等級別表では、本型の2隻とも第一号型に含まれる。 1920年(大正9年)の八八艦隊案では第一型掃海艇6隻の建造が予定されていたがワシントン軍縮条約締結の影響でうち3隻が起工が遅れた。それにより最後の2隻
1923年6月30日竣工(播磨造船所)。竣工時艇名は「第一掃海艇」。1924年4月24日、「第一号掃海艇」に改称。1945年8月10日航空機の攻撃を受け沈没(岩手県山田港沖)。 1923年6月30日竣工(三井造船)。竣工時艇名は「第二掃海艇」。1924年4月24日、「第二号
1944年3月5日、横須賀鎮守府作戦指揮下に編入され、7日横須賀着。9日、木更津で東松二号船団(10隻)に合流。12日、木更津を発し、19日サイパン着。20日、陸軍輸送船玉鉾丸を護衛してグアムへ向かい、同日着。22日、玉鉾丸を特設掃海艇第五利丸と護衛してサイパンへ向かい、23日着。28日、特設運送船慶洋丸(元東松一号甲船
昭和17年1月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第794号。 昭和16年4月28日付 海軍公報(部内限)第3781号。 昭和16年5月31日付 海軍公報(部内限)第3807号。 掃十九機密第1号ノ4 『第十九号掃海艇支那事変第十回功績概見表』。 第二根拠地隊戦時日誌。 昭和16年12月20日付 第一急襲隊戦闘詳報(第五水雷戦隊戦闘詳報第一号)。