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昭和17年1月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第794号。 昭和16年4月28日付 海軍公報(部内限)第3781号。 昭和16年5月31日付 海軍公報(部内限)第3807号。 掃十九機密第1号ノ4 『第十九号掃海艇支那事変第十回功績概見表』。 第二根拠地隊戦時日誌。 昭和16年12月20日付 第一急襲隊戦闘詳報(第五水雷戦隊戦闘詳報第一号)。
第十三号型掃海艇(だいじゅうさんごうがたそうかいてい)は日本海軍の掃海艇。同型艇4隻。海軍省が定めた艦艇類別等級別表では、第十三号から第十八号までの6隻を「第十三号型」としている。 なお第13号、第14号を第十三号型、第15号、第16号を第十五号型と分ける文献もあるが、ここでは一括して扱う。
隻。船体は若干小さくなり艦首形状はダブルカーブ型に戻された。機関は当初はレシプロを予定していたがタービンに変更された。ボイラーは前型同様に重油・石炭混焼缶2基を搭載している。 太平洋戦争には2隻とも参加、第18号は船団護衛中に敵機の攻撃を受け沈没、第17号は終戦時残存していたが触雷により損傷していた
第五号型掃海艇(だいごごうがたそうかいてい)は日本海軍の掃海艇。同型艇2隻。海軍省が定めた艦艇類別等級別表では、本型の2隻とも第一号型に含まれる。 1920年(大正9年)の八八艦隊案では第一型掃海艇6隻の建造が予定されていたがワシントン軍縮条約締結の影響でうち3隻が起工が遅れた。それにより最後の2隻
1923年6月30日竣工(播磨造船所)。竣工時艇名は「第一掃海艇」。1924年4月24日、「第一号掃海艇」に改称。1945年8月10日航空機の攻撃を受け沈没(岩手県山田港沖)。 1923年6月30日竣工(三井造船)。竣工時艇名は「第二掃海艇」。1924年4月24日、「第二号
1944年3月5日、横須賀鎮守府作戦指揮下に編入され、7日横須賀着。9日、木更津で東松二号船団(10隻)に合流。12日、木更津を発し、19日サイパン着。20日、陸軍輸送船玉鉾丸を護衛してグアムへ向かい、同日着。22日、玉鉾丸を特設掃海艇第五利丸と護衛してサイパンへ向かい、23日着。28日、特設運送船慶洋丸(元東松一号甲船
第十七号掃海艇(だいじゅうななごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十七号型掃海艇の1番艦。 1935年(昭和10年)1月28日、大阪鉄工所桜島工場で起工。同年8月3日進水。1936年(昭和11年)1月15日に竣工。第十七号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。
第十三号掃海艇(だいじゅうさんごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十三号型掃海艇の1番艦。 1931年(昭和6年)12月22日、藤永田造船所で起工。1933年(昭和8年)3月30日進水。同年8月31日に竣工。第十三号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。 1937年(昭和12年)から1939年(昭和