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第十九号型掃海艇 (だいじゅうきゅうごうがたそうかいてい)は大日本帝国海軍の掃海艇。同型艇17隻。 ④計画で6隻とマル急計画で28隻、更に改⑤計画では36隻が計画された。艦型は先の第七号型と大きく違わないが、主砲は12cmM型砲3門に変更された。他国の掃海艇と比べて砲戦能力が大きく、そのため沿岸哨
1944年3月5日、横須賀鎮守府作戦指揮下に編入され、7日横須賀着。9日、木更津で東松二号船団(10隻)に合流。12日、木更津を発し、19日サイパン着。20日、陸軍輸送船玉鉾丸を護衛してグアムへ向かい、同日着。22日、玉鉾丸を特設掃海艇第五利丸と護衛してサイパンへ向かい、23日着。28日、特設運送船慶洋丸(元東松一号甲船
第十七号掃海艇(だいじゅうななごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十七号型掃海艇の1番艦。 1935年(昭和10年)1月28日、大阪鉄工所桜島工場で起工。同年8月3日進水。1936年(昭和11年)1月15日に竣工。第十七号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。
第十三号掃海艇(だいじゅうさんごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十三号型掃海艇の1番艦。 1931年(昭和6年)12月22日、藤永田造船所で起工。1933年(昭和8年)3月30日進水。同年8月31日に竣工。第十三号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。 1937年(昭和12年)から1939年(昭和
1935年10月15日 中俣勇 大尉:1935年10月15日 - 1938年2月21日 浜中脩一 少佐:1938年2月21日 - 1938年11月15日 入戸野篶生 大尉:1938年11月15日 - 1940年10月15日 寺内正道 大尉:1940年10月15日 - 1941年2月10日 吉本義国 予備大尉:1941年2月10日
第十八号掃海艇(だいじゅうはちごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十七号型掃海艇の2番艦。 1935年(昭和10年)2月20日、三井物産造船部玉工場で起工。同年9月19日進水。1936年(昭和11年)4月30日に竣工。第十八号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。
第十六号掃海艇(だいじゅうろくごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十三号型掃海艇の4番艦。 1933年(昭和8年)6月20日、三井物産造船部玉工場で起工。1934年(昭和9年)3月30日進水。同年9月29日に竣工。第十六号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。
945年(昭和20年)3月5日、那覇から鹿児島へ向かう船団の護衛中、南西諸島北方でアメリカ海軍潜水艦「タイルフィッシュ」の雷撃を受け諏訪之瀬島西岸に擱座した。同年5月10日に除籍。 ※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。 艤装員長 原田耕作 大尉:1934年4月1日