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ン行きとミリ行きに分かれることとなり、本艦は春風、朝風とともにミリ行き船団(マミ09船団、5隻)を護衛することとなった。9日、マミ09船団はミリに到着し、本艦はミリ湾口の警戒にあたる。13日、復航のミマ10船団(11隻)を護衛してマニラへ向けミリ発。19日、マニラ着。21日、タマ18船団を迎えるた
4日、マタ23船団を護衛して高雄へ向けマニラ発。26日、潜水艦制圧のため船団から分離。27日、マタ24船団と合同。28日、マタ24船団はヒンゲットに避泊し、本艦は対潜掃蕩を実施。 7月4日、マタ24船団は高雄着。12日、ミ06船団を護衛して門司へ向け高雄発。17日、門司着。佐世保へ回航し、18日から
に従事。18日、引き続き東松五号船団を護衛して父島発。24日、パラオ着。26日、東松五号復航船団(4隻)を護衛して横須賀へ向けパラオ発。27日、船団は2隻が被雷したため、パラオへ引き返す。29日、再度東松五号復航船団(2隻)を護衛してパラオ発。5月4日、横須賀着。
58船団(7隻)を護衛して内地へ向けシンガポール発。 5月3日、六連沖で船団から分離し呉へ回航。8日まで、呉海軍工廠で入渠し船体の修理と整備を行う。出渠後は門司へ回航し、ヒ63船団の編成を待つ。13日、ヒ63船団(11隻)を護衛して門司発。18日、経由地のマニラへ入港。20日、引き続きヒ63船団を護
を護衛してセブへ向けパラオ発。22日、セブ着。22日から27日まで、セブで機関整備を行う。28日、タパ09船団を出迎えるためセブを出港し、同日セブに帰着。30日、セパ01船団(パラオ行き、海軍徴傭船多摩丸)/セダ01船団(ダバオ行き、2隻)を護衛してセブ発。 7月1日、船団はパラオ行きとダバオ行きの
軍病院船北辰丸が本艦と同じく楡林東海岸でそれぞれ座礁した。本艦は8月7日に離礁したが、朝顔は離礁に9月25日までかかり、北辰丸は同地で沈没した。離礁作業中の7月18日、第二海上護衛隊が解隊され第一海上護衛隊に編入された。 離礁後、10月3日まで海南海軍工作部で応急修理を行い、応急修理終了後第101号
第三十号海防艦(だいさんじゅうごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の15番艦。太平洋戦争の終戦直前に沈没した。 マル戦計画の海防艦丁、第2701号艦型の15番艦、仮称艦名第2715号艦として計画。1944年(昭和19年)2月15日、三菱重工業長崎造船所で起工。4月5日、第三十号海防艦
、第十二海防隊はタモ39船団(5隻)を護衛して内地へ向け基隆発。2月8日六連着。 2月13日、第十二海防隊はモタ36船団(第一分団2隻)を護衛して六連発。18日、基隆着。22日、タモ44船団(3隻)を護衛して基隆発。28日、六連着。 1945年3月1日、本艦は彦島へ回航し、同日から8日まで三菱重工業