语言
没有数据
通知
无通知
、第十二海防隊はタモ39船団(5隻)を護衛して内地へ向け基隆発。2月8日六連着。 2月13日、第十二海防隊はモタ36船団(第一分団2隻)を護衛して六連発。18日、基隆着。22日、タモ44船団(3隻)を護衛して基隆発。28日、六連着。 1945年3月1日、本艦は彦島へ回航し、同日から8日まで三菱重工業
日、引き続きミ08船団を護衛してマニラ発。27日、中継地の高雄に入港。30日、引き続きミ08船団を護衛して門司へ向け高雄発。 8月1日、船団は基隆に避泊。4日、基隆発。7日、対潜掃蕩中に本艦は機関故障を起こしたため一旦那覇に寄港。8日、那覇を出撃して対潜掃蕩を継続しつつ船団に追及。11日、ミ08船団
ン行きとミリ行きに分かれることとなり、本艦は春風、朝風とともにミリ行き船団(マミ09船団、5隻)を護衛することとなった。9日、マミ09船団はミリに到着し、本艦はミリ湾口の警戒にあたる。13日、復航のミマ10船団(11隻)を護衛してマニラへ向けミリ発。19日、マニラ着。21日、タマ18船団を迎えるた
第十六号海防艦(だいじゅうろくごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の8番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後は復員輸送に従事した。 マル戦計画の海防艦丁、第2701号艦型の8番艦、仮称艦名第2708号艦として計画。1943年10月5日、横須賀海軍工廠で仮称艦名第2701号艦、同
5月14日まで整備作業、配置教育訓練。この間、北九州空襲の報により対空戦闘配置に就く。 5月14日出港哨戒の任につく。 5月18日的山大島入港、基地化のた め陸上にて井戸掘作業。 5月26日出港哨戒。昼夜に亘り戦闘爆雷戦反覆。 5月28日帰港、夕刻出港哨戒。 5月31日命により鎮海入港。海防隊集合す。
22.317; 120.500の琉球嶼灯台東方14km地点付近に差し掛かったところで、陸軍臨時配当船永治丸(日本郵船、6,968トン)の右舷1番船倉前部に触雷。大破した同船は総員退去となった後、0753に大爆発して船体が二つ折れとなって沈没。さらに響も0825に触雷大破する。第二十八号海防艦は遭難
いす丸(三菱汽船、7,268トン)へ向け魚雷を発射。魚雷はさんるいす丸の船首に命中したが、沈没はしなかった。1804、ベクーナはホークビルと共同で攻撃し、逓信省平時D型貨物船改装応急タンカー徳和丸(日東汽船、1,943トン)が撃沈された。損傷したさんるいす
第二十二号海防艦(だいにじゅうにごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の11番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後は掃海に従事した。 マル戦計画の海防艦丁、第2701号艦型の11番艦、仮称艦名第2711号艦として計画。1943年11月1日、三菱重工業長崎造船所で建造番号956番船と