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日、引き続きミ08船団を護衛してマニラ発。27日、中継地の高雄に入港。30日、引き続きミ08船団を護衛して門司へ向け高雄発。 8月1日、船団は基隆に避泊。4日、基隆発。7日、対潜掃蕩中に本艦は機関故障を起こしたため一旦那覇に寄港。8日、那覇を出撃して対潜掃蕩を継続しつつ船団に追及。11日、ミ08船団
22.317; 120.500の琉球嶼灯台東方14km地点付近に差し掛かったところで、陸軍臨時配当船永治丸(日本郵船、6,968トン)の右舷1番船倉前部に触雷。大破した同船は総員退去となった後、0753に大爆発して船体が二つ折れとなって沈没。さらに響も0825に触雷大破する。第二十八号海防艦は遭難
に従事。18日、引き続き東松五号船団を護衛して父島発。24日、パラオ着。26日、東松五号復航船団(4隻)を護衛して横須賀へ向けパラオ発。27日、船団は2隻が被雷したため、パラオへ引き返す。29日、再度東松五号復航船団(2隻)を護衛してパラオ発。5月4日、横須賀着。
58船団(7隻)を護衛して内地へ向けシンガポール発。 5月3日、六連沖で船団から分離し呉へ回航。8日まで、呉海軍工廠で入渠し船体の修理と整備を行う。出渠後は門司へ回航し、ヒ63船団の編成を待つ。13日、ヒ63船団(11隻)を護衛して門司発。18日、経由地のマニラへ入港。20日、引き続きヒ63船団を護
を護衛してセブへ向けパラオ発。22日、セブ着。22日から27日まで、セブで機関整備を行う。28日、タパ09船団を出迎えるためセブを出港し、同日セブに帰着。30日、セパ01船団(パラオ行き、海軍徴傭船多摩丸)/セダ01船団(ダバオ行き、2隻)を護衛してセブ発。 7月1日、船団はパラオ行きとダバオ行きの
軍病院船北辰丸が本艦と同じく楡林東海岸でそれぞれ座礁した。本艦は8月7日に離礁したが、朝顔は離礁に9月25日までかかり、北辰丸は同地で沈没した。離礁作業中の7月18日、第二海上護衛隊が解隊され第一海上護衛隊に編入された。 離礁後、10月3日まで海南海軍工作部で応急修理を行い、応急修理終了後第101号
艦と同日に起工。12月22日、第一号海防艦と命名され、本籍を呉鎮守府と仮定し、第一号型海防艦の1番艦に定められる。29日、進水。本艦は国民からの建艦献金の一部を建造費に充てたため、非公式に「報國第一号海防艦」と称され、戦時下にもかかわらず進水が新聞で公表された他、進水式はニュース映画として各地の映画館で公開された。
第百八十六号海防艦(だいひゃくはちじゅうろくごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型海防艦)。 第186号海防艦は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月15日、三菱重工業長崎造船所において竣工。佐世保鎮守府籍、呉防備隊に編入。佐伯湾に廻航され、対潜訓練隊において対潜訓練に従事した。