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6勝1預3休 4勝2敗1預1無勝負2休 出水川林右エ門 前頭2枚目 大比叡杉右エ門 3勝4敗1分2休 5勝1預4休 小野川喜三郎 前頭3枚目 永濱木曾八 2勝5敗1無勝負2休 2勝4敗1分3休 友千鳥寿作 前頭4枚目 柏戸村右エ門 2勝3敗1分1預2休 番付外 外ヶ濱浪右エ門 5勝2敗1預2休 前頭格
々場所(名古屋場所)で合計21勝を挙げており、12勝を挙げれば大関昇進の目安となる「三役で直近3場所33勝」に到達する勝負の場所となるほか、先場所カド番で負け越して大関陥落となった関脇・栃ノ心が2桁勝利を挙げて大関復帰が成るかにも注目が集まった。 迎えた初日、横綱・鶴竜は腰椎すべり症で初日の取組前
は筆頭と筆脇が掌握し、かつそのふたつの役職はほぼ歴代の雷や錣山はじめ一部の年寄たちによって独占的に襲われた。本場所の勧進元(興行主)は彼らによって回り持ちとされ、収益は勧進元がほぼ独占できた。後援の商家らの協力で興行の失敗を回避する仕組みも整えられ、これがのちの相撲茶屋の前身となった。
東 番付 西 備考 成績 力士名 力士名 成績 備考 新大関(第23代) 全休 三國川瀬左エ門 大関 洞ヶ嶽浜右エ門 全休 全休 鱛ヶ洞岩右エ門 関脇 磯碇平左エ門 2勝2敗1分1預1無勝負1休 3勝2分1預1無勝負1休 出水川貞右エ門 小結 艫綱良助 4勝2敗1分1休 6勝2敗 鰭ヶ嶽岸右エ門 前頭筆頭
この時代の江戸相撲においては優勝力士という概念は存在していないが、後に定められた優勝制度を遡って準用することができる。本場所においては、艫綱が優勝に相当する力士であるとみなすことができる(優勝制度は、制定当初は番付上位者優勝制度を採用していた)。 酒井忠正『日本相撲史 上巻』ベースボール・マガジン社、1956年6月1日。
幕内最高優勝は横綱・白鵬翔(15戦全勝・12回目)。 場所前半は朝青龍、白鵬の両横綱とともに、大分県出身のご当地力士・嘉風が活躍。7日目まで勝ちっ放しの7連勝で両横綱とともに場所を引っ張り、ご当地場所を沸かせた。 嘉風は中日に勝ち越しを懸けるも黒星。1敗に下がるも、9日目、10日目と勝って両横綱に続いた。両横綱はその後も全勝を守って
を喫するなど不調の色が濃く、最終的には5勝10敗に終わり、来場所は角番の場所となることになった。大関昇進がかかる関脇髙安は序盤はまずまずだったものの、中日から12日目まで5連敗を喫するなど中盤以降失速し、7勝8敗と負け越してしまった。同時に大関昇進も叶わなかった。 横綱陣を
馬富士が初めて単独トップに立ち、2敗で白鵬・松鳳山が追うという展開に変わった。翌千秋楽。まず2敗の松鳳山は安美錦の立ち合い一瞬の素首落としに敗れて痛恨の3敗目を喫して脱落した。1敗の日馬富士は稀勢の里戦で立ち合いすぐに捕まってしまい、得意の左四つから一気に寄り切られて2敗に後退。この時点で再び2敗で