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伊号第百七十六潜水艦(いごうだいひゃくななじゅうろくせんすいかん、旧字体:伊號第百七十六潜水艦)は、大日本帝国海軍の潜水艦。伊百七十六型潜水艦(海大七型、新海大型)の1番艦。2度の重大な損傷を受けるがソロモン方面で物資輸送に従事した。 1940年6月22日 - 呉海軍工廠にて起工。 1941年5月15日
を搭載して8月1日に光基地を出撃。沖縄・ウルシー間へ向かう。8月11日、パラオ北方500浬で、発見した敵艦に対して回天3基(2基は不具合発生のため発進断念)を発進させ、爆発音3つを確認したが、アメリカ側に該当する記録はない。終戦により、8月18日に呉に帰投。 11月30日、除籍。 1946年4月1日、五島沖で海没処分。
伊号第百七十七潜水艦(いごうだいひゃくななじゅうななせんすいかん、旧字体:伊號第百七十七潜水艦)は、大日本帝国海軍の潜水艦。伊百七十六型潜水艦(海大七型、新海大型)の2番艦である。1943年(昭和18年)5月14日、オーストラリア大陸東海岸で行動中に連合国の病院船を魚雷攻撃で撃沈、国際問題となった(日本の戦争犯罪一覧)。
伊号第三百七十三潜水艦(いごうだいさんびゃくななじゅうさんせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。艦級は丁型改(ていがたかい)で、同型の完成艦はない。輸送任務に特化され魚雷発射管を有していないので、潜水状態では攻撃を行うことはできなかった。1945年(昭和20年)4月14日に竣工し、終戦直前の8
伊号第六十七潜水艦(いごうだいろくじゅうななせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十五型潜水艦(海大V型)の3番艦。 1929年(昭和4年)10月14日 - 三菱神戸造船所で起工。 1931年(昭和6年)4月7日 - 進水 1932年(昭和7年)8月8日 - 竣工。呉鎮守府籍。 11月10日 -
伊号第百六十六潜水艦(いごうだいひゃくろくじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十五型潜水艦(海大V型)の2番艦。竣工時の艦名は伊号第六十六潜水艦。 1929年(昭和4年)11月8日 - 佐世保海軍工廠で起工。 1931年(昭和6年)6月2日 - 進水 1932年(昭和7年)11月10日
で沈没。以下、日本海軍の潜水艦名は「伊363潜」等と略記する。 先に竣工した「伊362潜」において魚雷発射管が発生させる艦首波が問題視され、整流覆をつけることで解決が図られた結果「伊362潜」や「伊361潜」では発射管は使用不能となっていたが、「伊363潜」おいては艤装員長であった荒木大尉がこだわっ
遇した連合国の船について尋問し、衣服と救命ボートの帆、地図、食糧、懐中電灯を没収。衣服の一部とマッチ、酒を生存者に渡し、現場を離れた。7月9日、ペルシア湾を偵察。8月17日にペナンに到着した。22日、ペナンを出港し、シンガポールに移動した。 9月5日、伊37はシンガポールを出港し、ペナンに移動。その