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伊号第十七潜水艦(いごうだいじゅうななせんすいかん、旧字体:伊號第十七潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十五型潜水艦(巡潜乙型)の2番艦。アメリカ合衆国本土を艦載砲で攻撃した最初の潜水艦として知られる。 1937年(昭和12年)の第三次海軍軍備補充計画(③計画)により、1938年(昭和13年)4月18
伊号第七十潜水艦(いごうだいななじゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百六十八型潜水艦(海大VI型a)の3番艦。 1933年(昭和8年)1月25日 - 佐世保海軍工廠で起工。 1934年(昭和9年)6月14日 - 進水 1935年(昭和10年)11月9日 - 竣工。呉鎮守府籍となり第12潜水隊に編入。
伊号第六十潜水艦(いごうだいろくじゅうせんすいかん)は大日本帝国海軍の潜水艦。海大3b型(伊156型)の4番艦。 1923年(大正12年)の大正12年度艦艇補充計画により佐世保工廠で1927年10月10日に起工。1929年4月24日に進水し、潜望鏡等の搭載を行って12月24日に竣工した。佐世保鎮守
伊号第十六潜水艦(いごうだいじゅうろくせんすいかん、旧字体:伊號第十六潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十六型潜水艦の一番艦。 1937年(昭和12年)の第三次海軍軍備充実計画(③計画)で建造が計画され、1937年9月15日に三菱重工業神戸造船所で起工。1938年(昭和13年)6月1日、艦型名が伊十六
伊号第百七十六潜水艦(いごうだいひゃくななじゅうろくせんすいかん、旧字体:伊號第百七十六潜水艦)は、大日本帝国海軍の潜水艦。伊百七十六型潜水艦(海大七型、新海大型)の1番艦。2度の重大な損傷を受けるがソロモン方面で物資輸送に従事した。 1940年6月22日 - 呉海軍工廠にて起工。 1941年5月15日
の伊7は左舷側からの砲撃を受け、司令塔とブルワーク、後部バラストタンクに砲弾が命中。これにより関口水雷長は瀕死の重傷を負い、機関長が戦死した。この時、伊7では混乱により3隻の敵艦から砲撃を受けていると判断していた。砲術長新藤尚男中尉の指揮により、伊7は応戦を開始。その後、モナハンは一時退避の
伊号第六潜水艦 (いごうだいろくせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。法令上は伊一型潜水艦の6番艦。艦型名は巡潜型、あるいは巡潜二型とされた時期もあった。 ロンドン軍縮条約下に計画された①計画で建造された潜水艦で、伊1型の改良型である。排水量は大きく変わらないが水上速力向上のため船図が変更される
伊号第百七十七潜水艦(いごうだいひゃくななじゅうななせんすいかん、旧字体:伊號第百七十七潜水艦)は、大日本帝国海軍の潜水艦。伊百七十六型潜水艦(海大七型、新海大型)の2番艦である。1943年(昭和18年)5月14日、オーストラリア大陸東海岸で行動中に連合国の病院船を魚雷攻撃で撃沈、国際問題となった(日本の戦争犯罪一覧)。