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第十三号型掃海艇(だいじゅうさんごうがたそうかいてい)は日本海軍の掃海艇。同型艇4隻。海軍省が定めた艦艇類別等級別表では、第十三号から第十八号までの6隻を「第十三号型」としている。 なお第13号、第14号を第十三号型、第15号、第16号を第十五号型と分ける文献もあるが、ここでは一括して扱う。
1944年3月5日、横須賀鎮守府作戦指揮下に編入され、7日横須賀着。9日、木更津で東松二号船団(10隻)に合流。12日、木更津を発し、19日サイパン着。20日、陸軍輸送船玉鉾丸を護衛してグアムへ向かい、同日着。22日、玉鉾丸を特設掃海艇第五利丸と護衛してサイパンへ向かい、23日着。28日、特設運送船慶洋丸(元東松一号甲船
第十七号掃海艇(だいじゅうななごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十七号型掃海艇の1番艦。 1935年(昭和10年)1月28日、大阪鉄工所桜島工場で起工。同年8月3日進水。1936年(昭和11年)1月15日に竣工。第十七号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。
昭和17年1月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第794号。 昭和16年4月28日付 海軍公報(部内限)第3781号。 昭和16年5月31日付 海軍公報(部内限)第3807号。 掃十九機密第1号ノ4 『第十九号掃海艇支那事変第十回功績概見表』。 第二根拠地隊戦時日誌。 昭和16年12月20日付 第一急襲隊戦闘詳報(第五水雷戦隊戦闘詳報第一号)。
1935年10月15日 中俣勇 大尉:1935年10月15日 - 1938年2月21日 浜中脩一 少佐:1938年2月21日 - 1938年11月15日 入戸野篶生 大尉:1938年11月15日 - 1940年10月15日 寺内正道 大尉:1940年10月15日 - 1941年2月10日 吉本義国 予備大尉:1941年2月10日
第十八号掃海艇(だいじゅうはちごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十七号型掃海艇の2番艦。 1935年(昭和10年)2月20日、三井物産造船部玉工場で起工。同年9月19日進水。1936年(昭和11年)4月30日に竣工。第十八号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。
第十六号掃海艇(だいじゅうろくごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十三号型掃海艇の4番艦。 1933年(昭和8年)6月20日、三井物産造船部玉工場で起工。1934年(昭和9年)3月30日進水。同年9月29日に竣工。第十六号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。
945年(昭和20年)3月5日、那覇から鹿児島へ向かう船団の護衛中、南西諸島北方でアメリカ海軍潜水艦「タイルフィッシュ」の雷撃を受け諏訪之瀬島西岸に擱座した。同年5月10日に除籍。 ※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。 艤装員長 原田耕作 大尉:1934年4月1日