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付随車に対し付与されたものである。付随車がその車体幅によってサハ6形/サハ19形(狭幅)、サハ25形(中幅)、サハ26形(広幅)と明確に区分されたのに対し、制御車であるクハ15形には中幅車、広幅車が混在している。称号規程改正前の旧形式は、全車が中幅車であるクハ23500形であったが、改正後の増備車
5kW、三菱MB64-C=44.8kW)は、順次KS-33Eなどの新型台車と強力な三菱MB-146系主電動機(端子電圧600V換算で定格74.6kW、本来端子電圧750V仕様のため昇圧対応可能)に換装する工事が施され、空気圧縮機もやはり早くから、ウエスティングハウスの設計に基づく三菱
の構造的な特徴から、1912年(明治45年/大正元年)に設計された、明治45年式4輪ボギー台車の後期生産グループとの類似性が極めて高い。また側枠に球山形鋼(バルブアングル)を使用していることから、それが採用された1914年以降1921年頃までの間に生産されたものとなる。
だ反対側にカウンターウエイトを取り付けている。駆動装置の取り付け位置を車輪内側から台車枠外側に移した点が先に登場した長崎電気軌道3000形(「リトルダンサー」タイプU)との差異である。駆動装置も主電動機と同様東洋電機製造による。 ブレーキは電気指令式ブレーキシステム(形式名:HRD-1)を採用し、主
台車についてはいずれも中古品が採用され、クハ5855形は東武鉄道において余剰となった天野工場(後に日本車輌製造へ吸収合併)製の小型釣り合い梁式台車を購入して装着し、クハ5860形は高野山電気鉄道より同社101形電車の台車交換に伴って発生した汽車製造製の軸ばね式台車BW-54-18Lを木南車輌工業を通じて入手し装着した。
側面は荷物室側の運転台にのみ500 mm幅の乗務員扉を設置し、逆側の運転台には同幅の側窓を設けたのみで乗務員扉は省略された。側面3か所に設置された920 mm幅の片開き式側扉のうち、乗務員扉寄りの1か所を荷物用扉とし、乗務員扉と荷物用扉の間に設置された440
尾西鉄道デボ100形電車(びさいてつどうデボ100がたでんしゃ)は、尾西鉄道が1922年に導入した木造両運転台の通勤形電車。 1922年(大正11年)にデボ101 - 103が1925年(大正14年)にデボ104-108の計8両が日本車輌製造により新製された。1925年(大正14年)に尾西鉄道は(
^ 1942年(昭和17年)に旧デシ551号(元・トク2号貴賓車)を復籍した際、車番を41号としたため本形式の41号と番号が重複した。本項の車両が1941年改番時に形式名を付与されなかったため、この復籍車両が初代モ40形を名乗っている。その後、1949年改番でモ85形に改称している。