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注釈 ^ a b 建造所名は昭和20年5月5日付 達第97号の表記に従う。株式会社船矢造船所は、1942年に社号を株式会社船矢造船鉄工所に改称しており、1945年5月5日時点で船矢造船所の社号は存在しない。 ^ a b 進捗率は福井静夫『昭和軍艦概史III』 p.
昭和22年1月12日付 復員庁第二復員局 復二第22号。 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。 昭和22年2月19日付 横須賀地方復員局管船部 横管修第753号。 昭和22年4月15日付 復員庁第二復員局 復二第284号。 在東京アメリカ極東海軍司令部 1947年11月22日付
昭和27年8月1日付 保安庁訓令第3号。 昭和28年9月16日付 政令第281号。 昭和29年7月1日付 海上自衛隊内訓第1号。 昭和32年10月15日付 海上自衛隊内訓第19号。 昭和33年9月9日付 海上自衛隊内訓第13号。 『朝鮮動乱特別掃海史』、1961年2月。[1] 『航路啓開史』、2012年 [2] 世界の艦船
庁が作成あるいは調整した文書中では本艇を「哨戒特務艇八六」「哨特八六」と記述していること、参考文献として用いた世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』では「第86号哨戒特務艇(未成)」と記述していること、そしてWikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名を標記のとおりとする。 脚注 復員庁 昭和22年2月1日付
昭和27年8月1日付 保安庁訓令第3号。 昭和28年9月16日付 政令第281号。 昭和28年12月28日付 警備隊内訓第27号。 昭和29年7月1日付 海上自衛隊内訓第1号。 昭和33年9月9日付 海上自衛隊内訓第13号。 『朝鮮動乱特別掃海史』、1961年2月。[1] 『朝鮮戦争に出動した日本特別掃海隊』、1978年。[2]
昭和22年1月11日付 復二第21号。 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。 昭和22年2月19日付 横須賀地方復員局管船部 横管修第753号。 昭和22年4月15日付 復二第284号。 在東京アメリカ極東海軍司令部 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。
昭和22年2月8日付 復員庁第二復員局 復二第108号。 昭和22年3月1日付 大湊地方復員局 大復局第186号。 昭和22年4月15日付 復員庁第二復員局 復二第284号。 昭和22年7月1日付 横須賀地方復員局大湊管船部 大湊管第81号。 昭和22年8月1日付 横須賀地方復員局大湊管船部 大湊管113号。
定められ、大阪警備府神戸港湾警備隊に編入。 横須賀在泊中の7月18日、アメリカ艦上機の空襲を受け、被爆し沈没した。 1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。5月3日、第三十七号哨戒特務艇は海軍編制の廃止に伴い除籍された。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から日本に対し、本艇の解体が指令された。