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注釈 ^ a b 建造所名は昭和20年5月5日付 達第97号の表記に従う。株式会社船矢造船所は、1942年に社号を株式会社船矢造船鉄工所に改称しており、1945年5月5日時点で船矢造船所の社号は存在しない。 ^ a b 進捗率は福井静夫『昭和軍艦概史III』 p.
昭和22年1月12日付 復員庁第二復員局 復二第22号。 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。 昭和22年2月19日付 横須賀地方復員局管船部 横管修第753号。 昭和22年4月15日付 復員庁第二復員局 復二第284号。 在東京アメリカ極東海軍司令部 1947年11月22日付
第百七十三号哨戒特務艇(だいひゃくななじゅうさんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の67番艇。竣工3日後に沈没した。 マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の173番艇、仮称艦名第2293号艦として計画。1944年11月5日、第百七十三
復員局所管の掃海艦に定められ、同局掃海部佐伯支部所属と定められる。また、同日から艦名を哨特第百三十七号としている。 1946年4月18日、下関市吉見沖で掃海作業中、荒天に遭遇し同地で座礁して放棄された。6月1日、哨特第百三十七号は呉地方復員局掃海部佐伯支部から削除され、掃海艦の定めを解かれた。その後は部品取りとして使用された。
第百七十七号哨戒特務艇(だいひゃくななじゅうななごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の71番艇。 マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の177番艇、仮称艦名第2297号艦として計画。1945年5月5日、第百七十七
達第97号、内令第381号、内令第389号。 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部 二復総第49号。 昭和22年2月19日付 横須賀地方復員局管船部 横管修第753号。 在東京アメリカ極東海軍司令部 1947年11月22日付 残存舊日本海軍行動不能艦艇(第二復員局保管)ニ關スル件。 (a) 解撤スベキ艦船ノリスト。
昭和22年2月8日付 復員庁第二復員局 復二第108号。 昭和22年3月1日付 大湊地方復員局 大復局第186号。 昭和22年4月15日付 復員庁第二復員局 復二第284号。 昭和22年7月1日付 横須賀地方復員局大湊管船部 大湊管第81号。 昭和22年8月1日付 横須賀地方復員局大湊管船部 大湊管113号。
載のため、1944年11月5日時点で法令上は15番艇、これら3隻を含めると通算で18番艇となる。 ^ 個人名のため姓のみ記す。第34号哨戒特務艇の受領者と同一人物である。 脚注 海軍省、復員庁 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。 昭和22年2月1日付 復員庁第二復員局総務部