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風葉和歌集(ふうようわかしゅう)は鎌倉時代中期の物語和歌集。藤原為家とおぼしき人物が、後嵯峨院の后・大宮院(西園寺姞子)の依頼を受けて編纂し、文永八年(1271年)に成立。もとは勅撰集の如く20巻の部立があったが、現存本は末尾の二巻を欠く。歌の数は1400首(欠巻を除く)。
』は世に出た当時「ひじつきあるじ」とあだ名されていたという。「ひじつき」とは「にせ物」「疑わしい物」「まがい物」という意味で「あるじ」は「集」で、有り体に言えば「まがい物の歌集」である。また同書の『金葉和歌集』の項には、「…時に基俊といふ者あり、和漢を兼ねて尤も選者に便(びん)あり。然りといえども
撰者も伏見天皇が諮問した二条為世、京極為兼、飛鳥井雅有、九条隆博の四名に命じられた。その後冷泉為相は自らも撰者に加わりたいと自薦し、二条為世は撰者を辞退し、冷泉為相を厳しく批判した上で自らの息子である二条為道が撰者にふさわしいと推薦したが、冷泉為相、二条為道とも撰者に加わることはなかった。
日本最古の歌集として『万葉集』があり、勅撰和歌集(帝王の命で国が編纂したもの)として『古今和歌集』や『新古今和歌集』などがある。また、『古今和歌六帖』、『夫木和歌抄』など、勅命によらないで編纂された和歌集(私撰集)もある。また、1人の歌人の和歌を編集したもの(私家集)もある。 二十一代集(勅撰和歌集) 家集 和歌 表示 編集
0日、四季奏覧。10月、為明の死去により頓阿が継いで、12月に成る。部立は、春上下、夏、秋上下、冬、賀、離別、羇旅、哀傷、恋一二三四五、神祇、釈教、雑上中下。雑下に『拾遺和歌集』の組織をまねて雑体歌をのせた。恋および雑の部の歌作者に僧が多いのは頓阿の撰したためかという。歌風は平明である。 表示 編集
始され、嘉元元年(1303年)12月29日に奏覧された。 歌数は1612首(諸本によって異同あり)。部立は春(上下)・夏・秋(上下)・冬・離別・羈旅・釈教・神祇・恋(1-6)・雑(上中下)・賀から成る。恋の6巻仕立ては『後撰和歌集』、哀傷歌を雑下に収めるのは『続後撰和歌集』に倣う。主な歌人は、藤原
北条泰時ら幕府関係者の歌を入集させている。この点は『越部禅尼消息』で批判されている。 伝本によって歌数が違うが、1370首強ある。部立は春(上下)・夏・秋(上下)・冬・賀・羇旅・神祇・釈教・恋(1-5)・雑(1-5)から成り、従来の勅撰集の部立よりも単純化されている。最多入集歌人は藤原家隆(43首
『新千載和歌集』(しんせんざいわかしゅう)は、勅撰和歌集。20巻。二条為定撰。二十一代集の18番目にあたる。 1356年(延文元年)6月11日、足利尊氏の執奏に基づき、後光厳天皇から綸旨が下る。奉行に三条実継、連署衆に二条為遠・二条為明・惟宗光之らが就いた。翌年『延文百首』として詠進されるも、135