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(1)和歌を集めた本。
流布本によれば、歌数は1351首、部立は春・夏・秋・冬・賀・別・物名・雑(上・下)・神楽歌・恋(5巻)・雑春・雑秋・雑賀・雑恋・哀傷の計20巻から成る。雑春・雑秋・雑恋・哀傷といった特異な部立ては、『拾遺抄』の雑の部立てを細分化したためである。
而世迄澆漓、人趣浮華。不知和歌之実義、偏以為好色之媒。近代之弊、至於益巧益密、惟以綺麗彫刻為事、竊古語假艷詞、修飾而成之、還暗乎大本。或以鄙俚庸俗之語、直述拙意、不知風躰所在。並以不足観者也。淳風質朴情理之本、孰不據此。而暗於態度而猥取之者、非述作之意。閑情巧辞華麗之美、何以加旃。而牽於興味而
いる。しかしいずれの説も定説とはなっていない。 また、序文がないことや詞書が物語的であること、部立てと配列の乱れ、歌の重出などから、後撰和歌集が「未定稿」であったとする説が古来からあり、藤原清輔や北村季吟、中山美石などが主張している。村瀬敏夫は、天徳4年(960年)9月23日に内裏の火災があり、そ
(『古今集』から『新古今集』)と「十三代集」(『新勅撰集』から『新続古今集』)に大別され、八代集のうち最初の三集は特に「三代集」(『古今集』・『後撰集』・『拾遺集』)と呼ばれる。また、このほかに南朝で編纂された『新葉和歌集』があるが、これは準勅撰集に位置づけられる。
風葉和歌集(ふうようわかしゅう)は鎌倉時代中期の物語和歌集。藤原為家とおぼしき人物が、後嵯峨院の后・大宮院(西園寺姞子)の依頼を受けて編纂し、文永八年(1271年)に成立。もとは勅撰集の如く20巻の部立があったが、現存本は末尾の二巻を欠く。歌の数は1400首(欠巻を除く)。
『詞花和歌集』(しかわかしゅう)は、八代集の第六にあたる勅撰和歌集。1144年(天養元年)6月2日に崇徳院が下命し、藤原顕輔が撰者となって編集した。1150年(久安6年)から1152年(仁平2年)の間に成立した。10巻、総歌数409首。古写本では『詞華和歌集』と記される。
『古今和歌集』(こきんわかしゅう)とは、平安時代の歌集。全二十巻。勅撰和歌集として最初に編纂されたもの。醍醐天皇の命により編纂され、905年に奏上された。後世の勅撰和歌集の範となり、国風文化・日本文学に影響をのこした。略称を『古今集』(こきんしゅう)という。 『古今和歌集』は二つの序文を持つ。仮名で