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床板にも通風口が設けられているとともに、屋根にはガーランド形通風器が4個設けられている。車体中央部に設けられた幅1,500mmの側引戸の通風器は、下向きのカバーを設けた形状のものが上下2か所に設けられている。通風器は内部から開閉可能な構造で、閉状態では通常の有蓋車代用として使用することができる。 荷室の寸法は、長さ5
業、東洋レーヨン、ナニワ工機、造機車輌、三原車輌、川崎車輛、新潟鐵工所にて製作、又は改造編入された。 戦後の一時期に製作された車の中には戦災復旧車も含まれていたため、形態は多種多様であった。 落成当時の所有者は、三井物産、成沢精油所、昭和石油、出光興産、ゼネラル物産、大協石油、東京貿易、歴世砿油、日本石油であった。
工所、三菱重工業、日立製作所、飯野重工業の8社で製作された。この際の車番は戦前からの続番とならずコタキ4050から開始された。専用種別は「濃硫酸及び発煙硫酸」となった車も存在した。この内コタキ34086、コタキ34087の2両はそれぞれタキ1700形(コタキ1754)、タ580形(タ1587)からの改造編入車である。
成ベースで約19か月と短く、1937年(昭和12年)6月28日には早くも本形式の改良型(炭箱容積の拡大18.3 m3→18.5 m3)であるセム4500形が完成した。近代的な石炭車として開発され全鋼式、底開き式である。ホッパ外壁に補強材があり本形式以降の二軸石炭車との識別点となる。
上縁部は魚腹型に補強されているが、上下方向に拡幅されている鉄道省のものに対し、幅方向に拡幅されている。 1944年(昭和19年)5月の戦時買収にともない国有化され、国鉄トラ4000形に編入されてトラ4750 - トラ4759に改番された。 ^ a b c d e f 吉岡心平『無蓋車の本(上)』p
タサ522)が新潟鐵工所にてそれぞれ製造された。 ア27570形からの改番車は附番の誤り(積載荷重が19tの為タラ(17 t - 19 t)に附番すべきが、タサ(20 t - 24 t)へ附番されてしまった事により1931年(昭和6年)2月12日にタラ1形ヘ再附番(タサ504 - タサ522→タラ13 - タラ31)が行われた。
12 m 以下)を前置し「コタサ」と標記する。 落成時の所有者は、昭和石油、三菱石油、シェル石油、丸善石油、歴世砿油、丸善海運の6社であった。1966年(昭和41年)10月28日に丸善海運所有車4両(コタサ2461 - コタサ2464)が丸善石油へ名義変更された。
国鉄タサ5700形貨車(こくてつタサ5700がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)及び1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に在籍した私有貨車(タンク車)である。 本形式と同一の専用種別であるタム9000形についても本項目で解説する。 タサ