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0であり、台車はベッテンドルフ式のTR41Bである。 タサ3800形は前述のように1963年(昭和38年)2月4日に2両(タサ4003 - タサ4004)の専用種別変更(液化塩化ビニル→メタノール)が行われ、形式名は新形式であるタサ3800形(タサ3800 - タサ3801)とされた。 本形式の他にメタ
業、東洋レーヨン、ナニワ工機、造機車輌、三原車輌、川崎車輛、新潟鐵工所にて製作、又は改造編入された。 戦後の一時期に製作された車の中には戦災復旧車も含まれていたため、形態は多種多様であった。 落成当時の所有者は、三井物産、成沢精油所、昭和石油、出光興産、ゼネラル物産、大協石油、東京貿易、歴世砿油、日本石油であった。
工所、三菱重工業、日立製作所、飯野重工業の8社で製作された。この際の車番は戦前からの続番とならずコタキ4050から開始された。専用種別は「濃硫酸及び発煙硫酸」となった車も存在した。この内コタキ34086、コタキ34087の2両はそれぞれタキ1700形(コタキ1754)、タ580形(タ1587)からの改造編入車である。
成ベースで約19か月と短く、1937年(昭和12年)6月28日には早くも本形式の改良型(炭箱容積の拡大18.3 m3→18.5 m3)であるセム4500形が完成した。近代的な石炭車として開発され全鋼式、底開き式である。ホッパ外壁に補強材があり本形式以降の二軸石炭車との識別点となる。
上縁部は魚腹型に補強されているが、上下方向に拡幅されている鉄道省のものに対し、幅方向に拡幅されている。 1944年(昭和19年)5月の戦時買収にともない国有化され、国鉄トラ4000形に編入されてトラ4750 - トラ4759に改番された。 ^ a b c d e f 吉岡心平『無蓋車の本(上)』p
通風口が上下2段に設けられており(次級ツ4000形とは配列が異なる)、通風に配慮して床板にも通風口が設けられているとともに、屋根にはガーランド形通風器が4個設けられている。車体中央部に設けられた幅1,500mmの側引戸の通風器は、下向きのカバーを設けた形状のものが上下4か所に設けられている。通風
6両(ツ1628 - ツ1633) 金沢工場 7両(ツ1636 - ツ1642) 鷹取工場 12両(ツ1643 - ツ1654) 後藤工場 12両(ツ1655 - ツ1666) 下関工場 7両(ツ1667 - ツ1668、ツ1671 - ツ1675) 盛岡工場 12両(ツ1676 - ツ1687)
ツ660) (ツ835 - ツ903→ツ661 - ツ729) (ツ905 - ツ925→ツ730 - ツ750) (ツ927 - ツ938→ツ751 - ツ762) (ツ939→ツ774) (ツ940 - ツ949→ツ764 - ツ773) 改造終了後の1936年(昭和11年)にツ700形は形式消滅となった。