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呂号第四十三潜水艦(ろごうだいよんじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十五型潜水艦(中型)の9番艦。 1941年(昭和16年)の昭和16年度計画(マル臨計画)により、1942年(昭和17年)10月6日、三菱重工業神戸造船所で起工。1943年(昭和18年)6月5日進水。1943年12月1
- 佐世保を出航。マレー、ジャワ方面において交通破壊戦に参戦。 1942年(昭和17年)3月7日 - セレベス島スターリング湾着。 3月22日 - スターリング湾を出航。 4月3日 - トラック着。 4月15日 - トラックを出航し、18日、ラバウル着。 4月26日 - ラバウルを出航し、ポートモレスビー作戦を支援。
呂号第四十潜水艦(ろごうだいよんじゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十五型潜水艦(中型)の6番艦。 1941年(昭和16年)の昭和16年度計画(マル臨計画)により、1942年8月8日、三菱重工業神戸造船所で起工。1943年(昭和18年)3月6日進水。1943年9月28日に竣工し、二等潜水
12月1日 渡部徳四郎 少佐:1922年12月1日 - 1923年12月1日 荻野仲一郎 少佐:1923年12月1日 - 1925年12月1日 春日末章 少佐:1925年12月1日 - 1927年7月29日 小田為清 大尉:1927年8月20日 - 1929年3月15日 山本岩多 大尉:1929年3月15日
潜望鏡深度に潜航。呂44が91mほどの距離で攻撃準備を行っているのを確認する。そのため、42mの深度に潜航するも、魚雷の航走音がしなかったため潜望鏡深度に戻ったところ、呂44の潜望鏡を確認した。そのため再度退避したが、反撃の様子は見られなかったため潜望鏡深度
呂号第十三潜水艦(ろごうだいじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂十三型潜水艦(海中2型)の1番艦。竣工時の艦名は第二十三潜水艦。 1918年(大正7年)9月14日、呉海軍工廠で起工。1919年(大正8年)8月26日進水。1920年(大正9年)9月30日竣工。竣工時の艦名は第二十三
第三十潜水艦に改称。1938年(昭和13年)6月1日、艦型名を呂三十型に改正。1942年(昭和17年)4月1日に除籍。戦後に解体された。 速力が13ノットに留まり、鎮守府の警備艦に配属された。 ※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
呂号第三十三潜水艦(ろごうだいさんじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十三型潜水艦(海中6型)の1番艦。 1933年(昭和8年)8月8日 - 呉海軍工廠で起工。 1934年(昭和9年)10月10日 - 進水 1935年(昭和10年)10月7日 - 竣工。舞鶴鎮守府籍に編入。 1937年(昭和12年)5月31日