语言
没有数据
通知
无通知
アレスを潜望鏡偵察。6月17日、特設巡洋艦報国丸(大阪商船、10,438トン)、愛国丸(大阪商船、10,437トン)と合流し、燃料補給を受け、第1次訪独潜水艦として、零式水上偵察機、九一式航空魚雷の設計図、八九式空気魚雷14本、零式水上偵察機、シェラック660キロ、雲母840キロを積んで枢軸国の友邦
伊四百型潜水艦を補うため設計変更された。 1943年2月4日川崎重工業神戸造船所で起工。10月1日伊号第十三潜水艦と命名、伊十型潜水艦の4番艦に定められ、本籍を佐世保鎮守府と仮定。11月30日進水。1944年12月16日
筵に到着。15日1000、運貨筒を曳航して出港するも、その後時化により運貨筒は流失してしまう。17日、北東へ向け浮上航走中、バルディア島のミドルリーフ南方で座礁しかけた。21日、伊36は作戦中止の命を受けて反転。25日に幌筵に到着した。27日、特設運送船(給油船)帝洋丸(日東汽船、9
助かったが、先任将校中島信義大尉以下81名が殉職した。伊60も艦首を損傷した。衝突の原因は伊63が配備点を誤っていたこと、伊60が伊63の右舷燈と艦尾燈を小型船舶二隻の燈火と思い込み、両燈の間を通過しようとしたことにあった。 ※『艦長たちの軍艦史』429-430頁による。 八代祐吉 少佐:1928年5月16日
哨戒海域を離れ、1943年(昭和18年)1月1日に幌筵に到着。6日、前線視察に向かう陸軍省軍務局課員岩越紳六中佐を載せて幌筵を出港し、9日にキスカに、11日にアッツ島に寄港し、15日に幌筵に到着して便乗者を降ろした。20日、輸送物資を搭載して幌筵を出港し、25日、キスカに到着して輸送物資を降ろした
伊号第五十三潜水艦(いごうだいごじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊五十二型潜水艦(丙型改潜水艦)の2番艦。艦名としては二代目。回天攻撃隊として活躍した。 初代伊53については伊号第百五十三潜水艦、または伊百五十三型潜水艦を参照のこと。 1941年(昭和16年)の昭和17年度計画(マル
カタリナ、米水上機母艦バラード(英語版)(USS Ballard, DD-267/AVD-10)、小型水上機母艦マッキナック(英語版)(USS Mackinac, AVP-13)の在泊を報告。その後浮上して搭載機を収容した後潜航し、湾内に侵入。2235に浮上した後、12日0203に砲撃を開始。バラードとマッキナックの反撃を受ける中
伊号第四十三潜水艦(いごうだいよんじゅうさんせんすいかん、旧字体:伊號第四十三潜水艦)は、日本海軍の潜水艦。伊四十型潜水艦(巡潜乙型改一)の4番艦である。ただし、艦艇類別等級別表においては伊十五型潜水艦の24番艦。1944年(昭和19年)輸送作戦の途中戦没。 1941年 - マル急計画第373号艦。