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旧年式車(グリーン車)同様朝ラッシュ時専用となり、1984年1月22日にさよなら運転が行われ、これを以て運用を終了し、廃車された。この時点で井の頭線から吊り掛け駆動車が消滅した(京王から吊り掛け駆動車が完全に消滅するのは5070系→5100系初期車が廃車された1989年である)。
は片開きとされた。前面は300形から方向幕を取り去り、前照灯を従来同様屋根前端部1灯とした形態で、貫通扉が1600形以降よりも狭い。2000形までの銀座線各形式の前面スタイルの基礎を作ったものといえる。それまでの車両は屋根部を赤茶色に塗り分けていたが、本形式ではすべてオレンジ1色とされた(後に他形
計当時のメーカー各社が競うようにして開発していた高速台車が採用され、竣工時には以下の3社の製品を装着した。電動車用台車には大出力電動機を装架するが、いずれも中継弁による台車シリンダー方式のブレーキ装置を備え、軸距は2,150 mmで統一されている。 中日本重工業(現・三菱重工業) MD7 1701
器の設置を実施。 時期不明:第2編成のパンタグラフを他の編成と同じ碍子が横向きのものに変更。 時期不明:新造のサハ1750形の1752 (2代) ・1754・1756のOK-17の軸受を平軸受からころ軸受に改造。 1969年:OM-ATSの設置および、前照灯を2400形と同じ2灯(常用1灯、予備1灯)のものへ変更。
000mmの両開き扉をもち、扉間には窓4枚を配置、マルーンの車体の窓下に白帯が巻かれていた。荷電という用途と重量軽減のため、内張はなく床は網目板となっている。なお連結器は廃車になった木造車デハ2000形(初代)より流用した。 デハ2000形(初代)よりの流用品である、イングリッシュ・エレクトリック
km/h以下と遅いことから静的な測定しか行えなかったうえ、列車の動揺測定は別途営業列車に動揺試験機を搭載して行う必要があった。測定精度の向上のため、電動貨車編成中に組み込んで営業列車と同じ速度で検測が行えるよう、8000系と同様のステンレス車体にレーザーを使用した非接触式の測定器を搭載し、レーザー基準器
車体中央部にも引戸式の客用扉が設置され、客室と直結されていた。デハ6260形においては、中央扉に圧搾空気で自動的に上下する踏段(ステップ)が設けられていたが、本形式では固定踏段とし、車体裾部を垂下させて扉の内部に隠している。 出入り台の中央部に運転台が設けられ、客用の部分と区分はされていない。前面
d e 「東京急行電鉄 車歴表」 p.261 ^ a b 「私鉄車両めぐり(151) 東京急行電鉄」 p.282 ^ a b c 『東急電鉄まるごと探見』 pp.134 - 135 鉄道図書刊行会 編著 『日本民営鉄道車両形式図集(上編)』 鉄道図書刊行会 1976年 東京工業大学鉄道研究部 『路面電車ガイドブック』