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勢電鉄より譲り受けた600V時代のものに交換、ウインドシルも、能勢電鉄320形のものを参考に新たに製造されたものと交換した。後部標識灯は車掌台側のみ取り付けられ、運転台側にあった行先方向幕が復活した。屋根も絶縁布が剥がされて鋼板屋根となって鉛丹ペイントが塗装された。車両番号表記・社紋は、車体中央から
結すべき木製の付随車(制御車)に付与されるべき形式であるが、本形式は半鋼製であり、制式の電車の系譜や形式付与体系から外れた存在で、国鉄が製作した生れながらの雑形電車というべきものである。1953年(昭和28年)6月1日に施行された車両形式称号規程改正では、雑形に分類され、クル9210形に改称された
ッシュ時やイベント時の増発時には6号線運用にも就く。また、検査明けの際は千田車庫管轄の運用にも就く。 またこの形式では全車両が9号線直通の方向幕にも対応しており、江波車庫所属の1900形と共に白島線の運用に就くことが可能な上、日中の9号線直通の超低床車両1000形による運行の代走時にもこの車両が充てられる。
デハ1401・デハ1366を種車としている。 ^ クハ3650形は川崎車輛製。 ^ 窓幅は両側が790㎜、中央が580mm。 ^ 京王では2本の仕切り棒を通して、一応乗客の立ち入り禁止としていたが、立ち入って前方展望を楽しむ客もいた ^ ただしデハ1400形の運転台は片隅式だが開放型。 ^ デハ1400形は車体長が16
000mmの両開き扉をもち、扉間には窓4枚を配置、マルーンの車体の窓下に白帯が巻かれていた。荷電という用途と重量軽減のため、内張はなく床は網目板となっている。なお連結器は廃車になった木造車デハ2000形(初代)より流用した。 デハ2000形(初代)よりの流用品である、イングリッシュ・エレクトリック
旧年式車(グリーン車)同様朝ラッシュ時専用となり、1984年1月22日にさよなら運転が行われ、これを以て運用を終了し、廃車された。この時点で井の頭線から吊り掛け駆動車が消滅した(京王から吊り掛け駆動車が完全に消滅するのは5070系→5100系初期車が廃車された1989年である)。
硬点検出器を装備し、監視用カメラと投光器を設置した。このパンタグラフでは、主軸の回転角度を基にしてトロリ線の高さを、支障物はマイクロスイッチを使用した支障物検出器により、上下方向の加速度計を用いた硬点検出器で架線の硬点を、架線電圧から離線を測定する。
が広くなり、それに合わせる形で行先方向幕も拡大された。これらの変更点によって、外観上は800形に比べて重厚で貫禄があり、なおかつ鈍重でないという、600形から始まる京都市電スタイルのひとつの頂点に立つ美しい車両に仕上がった。また、この前面は800形第3グループにも採用され、後には700形にも受け継