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式も、落成した後の1973年2月から新線区間で試運転を開始したものの、新線区間の橋梁に時限爆弾が仕掛けられたために試運転も中止となり、約1年半ほど雨ざらしの憂き目にあった。 1973年12月30日から、愛称表示器に「特急」を掲出して京成上野 - 京成成田間のノンストップ特急として暫定的に1日1往復
の詳細を記す。 各車に分散形冷房装置を搭載し、ベンチレーターを撤去した。 室内はファンデリア(換気扇)を廃止し、補助送風機として東芝製の首振り扇風機を設置した。それに伴い蛍光灯から内側の天井デコラを白光沢タイプに変更した。 冷房搭載にともない電動発電機 (MG) を容量5.5kVAのものから75kVAに交換した。
がステンレス製から軽合金製となった。1973年は12両編成運転開始に備えた設備増強に注力したこと、1975年(昭和50年)は前年7月の久里浜地区水害で損傷した車両の復旧工事を優先させたため新製がなかった。増備の過程で、広告枠の増設、先頭部の雨樋形状の変更など、細部の変更が行われた。
なお、主電動機は優等列車主体に運用されることから高速性能を重視して最弱め界磁率は50%に設定されており、いずれも補償巻線を持たない直流直巻整流子式電動機として設計されている。また、歯数比はそれぞれの電動機の定格回転数差を吸収するため、東洋電機製造製電動機搭載車で77:14(5.5)、三菱電機製電動機搭載車で88:19(4
(174) 『京急400・500形 -大型吊り掛け駆動車の生涯-(中)』佐藤良介 ネコ・パブリッシング RM LIBRARY (175) 『京急400・500形 -大型吊り掛け駆動車の生涯-(下)』佐藤良介 京急100年鉄道車輛 昭和初期から中期 ちょっとふの 昭和50年代の京浜急行 その2 釣掛駆動車
線経由の「モーニングライナー」・「イブニングライナー」でも運用される。2010年大晦日から2011年元日にかけての終夜運転では当形式による「シティライナー」の運転が行われ、それ以降の終夜運転には「シティライナー」への充当もなされている。 2020年10月からは印旛日本医大駅発の「臨時ライナー」にも使用されている。
なった。妻面の化粧板は、側面とは異なりキャラメルブラウン模様入りとなったほか、連結面貫通扉と乗務員仕切り扉は化粧板仕上げである。 中央天井部は空調ダクトとラインフロー(冷風吹出口)一体成形のFRP天井ユニット(白色)構成とし、補助送風機(ラインデリア)は先頭車6台・中間車5台を配置し、その部分のみ
扇風機とシーズ式暖房から軸流送風機とファンヒーター(各2台)に更新した。警笛は電子警報器を新設した。 室内では化粧板と床敷物が3400形や3700形と同色のものに張り替えられ、室内灯は停電時の白熱予備灯が廃止されて1両あたり4本の蛍光灯が予備