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C14121196200。 『昭和17年度 帝国海軍戦時編制(内示案) 昭和16.9.12/ 昭和17年度戦時駆逐隊・潜水隊・水雷隊・掃海隊・驅潛隊・通信隊・航空隊編制予定表 昭和17年度警備隊・防備隊附属艦艇及防備機関編制予定表 昭和17年度戦時艦船飛行機搭載予定表/第1表~第9表』。Ref
沖波(おきなみ)は、日本海軍の駆逐艦。夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の14番艦である。 一等駆逐艦沖波(おきなみ)は、日本海軍が太平洋戦争で運用した駆逐艦。 舞鶴海軍工廠で、1942年(昭和17年)8月から、1943年(昭和18年)12月上旬にかけて建造された。 竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属した。
早波もハーダーの雷撃により撃沈された。 早波は、1942年度(マル急計画)仮称第340号艦として1942年(昭和17年)1月15日、舞鶴海軍工廠で起工。舞鶴海軍工廠は本艦をふくめ夕雲型6隻(夕雲、巻波、早波、浜波、沖波、早霜)の建造を担当した。 7月10日、建造中の駆逐艦(第340号艦)は『早波
巻波(まきなみ)は、日本海軍の駆逐艦。 夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の5番艦である。艦名は砕波の一種に由来し、海上自衛隊の護衛艦2隻(初代まきなみ、2代まきなみ)に引き継がれた。 一等駆逐艦巻波(まきなみ)は、日本海軍が舞鶴海軍工廠で1941年(昭和16年)4月から1942年(昭和17年)8月にかけ
龍田や姉妹艦等と内海西部で訓練に従事した。 8月20日付で、夕雲型駆逐艦3隻(涼波、早波、藤波)は新編の第32駆逐隊に所属する。第32駆逐隊は9月30日付で第二水雷戦隊に編入された。 10月中旬、第32駆逐隊(早波、涼波、藤波)は丁三号輸送部隊としてトラック泊地に進出する。
1943年(昭和18年)7月31日、竣工した夕雲型11番艦藤波と夕雲型12番艦早波(早波艦長清水逸郎中佐、海兵51期)は、第十一水雷戦隊に編入。 第十一水雷戦隊(司令官木村進少将〈海軍兵学校40期〉)は駆逐艦の訓練を主任務とする水雷戦隊で、本艦編入の直前に夕雲型10番艦涼波(涼波艦長神山昌雄中佐、海兵51期)も、十一水戦に加わっている。
「大波」では、第31駆逐隊司令香川清登大佐および吉川潔艦長含め、全乗組員が戦死した。 1939年度(④計画)仮称第122号艦として藤永田造船所で建造。 1942年(昭和17年)6月20日、藤永田造船所の本艦に『大波』、浦賀船渠で建造中の駆逐艦に『清波』の艦名が与えられた。同日付で「大波」と「清波」は夕雲型駆逐艦に類別された。
波風(なみかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の14番艦(野風型2番艦)である。艦名は「波上に吹き渡る風」に由来する。 舞鶴海軍工廠で建造。一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。1922年(大正11年)12月28日、神風型駆逐艦 (2代)「第一駆逐艦」(「神風」)と同じく第1駆逐隊に編入され、同