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隼(はやふさ、はやぶさ)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の1番艇である。同名艇に鴻型水雷艇の「隼」があるため、こちらは「隼 (初代)」や「隼I」などと表記される。 発注時の艇名は第一号百二十噸水雷艇。1898年(明治31年)3月16日、隼と命名。同年3月21日、「軍艦及水雷艇類別等級」が定められ、
各艇の竣工は日露戦争の開戦前後に重なり全艇が参戦している。このうち「雉」は日露戦争開戦直前に竣工、そのまま参戦したが旅順方面哨戒作戦の帰途に対馬南端の豆酘崎(つつざき)沖の暗礁に乗り上げて破壊された。船体は放棄されたが修理の名目で新艇が建造され艦名はそのまま継承された。そして新艇完成18日後の日本海海戦にそのま
日露戦争では旅順口攻撃に参加。1904年3月31日、哨戒作戦の帰途に対馬南端豆酸埼沖で大破し、修復不能で放棄された。残材を利用して代艇を建造することとなり、同年6月4日、呉海軍工廠で起工。 1905年(明治38年)4月18日に進水し、同年5月9日に竣工。日本海海戦では第十九艇隊に所属して夜戦に参加。
鵲(かささき、かささぎ)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の2番艇である。同名艇に鴻型水雷艇の「鵲」があるため、こちらは「鵲 (初代)」や「鵲I」などと表記される。 発注時の艇名は第三号百二十噸水雷艇。1898年(明治31年)3月16日、鵲と命名。同年3月21日、「軍艦及水雷艇類別等級」が定められ、
隼(はやぶさ)は、日本海軍の水雷艇。鴻型の3番艇。艦艇名としては隼型水雷艇「隼」に続いて2代目。 1934年(昭和9年)11月24日、隼と命名され、水雷艇に類別。同年12月19日に三菱重工業横浜船渠で起工。1935年(昭和10年)10月28日進水。1936年(昭和11年)12月7日に竣工し、横須賀鎮守府籍、第1水雷隊に編入された。
鴻(おほとり、おおとり)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の15番艦である。同名艦に1936年10月10日に竣工した鴻型水雷艇のネームシップ「鴻」がある。 発注時の艇名は第十六号百二十噸水雷艇。1901年(明治34年)12月18日、鴻と命名。1902年(明治35年)10月31日、水雷艇に編入され等
鷺(さぎ)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の11番艇である。同名艇に鴻型水雷艇の「鷺」があるため、こちらは「鷺 (初代)」や「鷺I」などと表記される。 発注時の艇名は第十二号百二十噸水雷艇。1901年(明治34年)12月18日、鷺と命名。1902年(明治35年)10月4日、呉海軍造船廠で起工。同年
#海軍制度沿革(巻8、1940) 63頁。◎明治三十四年二月七日(達七) 軍艦及水雷艇類別等級別表中ニ左ノ通追加ス 水雷艇一等ノ欄「千鳥」ノ次ニ「雁、蒼鷹、鴿、燕、雲雀、雉」ヲ加フ。 ^ a b c 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、487頁。 ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 78頁。◎大正十一年四月一日(達四八)