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山門を入ると正面に本堂、その右手に阿弥陀堂と多宝塔が建つ。これらの中世仏教建築群に対し、境内西側には方丈、庫裏及び客殿など、僧の生活空間である近世建築群があり、庭園や茶室(露滴庵)もある。近世以前の寺院景観を良好に残す境内地は、本堂とともに国宝に指定されている。 本堂(附:厨子、棟札2枚、境内図2枚) -
う意味)の単純な平面構成になるが、1つの柱間が約6メートルもあり、内部空間は広大である。屋根は宝形造(ほうぎょうづくり、四角錐状の屋根形)、本瓦葺きで平面の大きさの割に立ちが低いことと、屋根の形づくる線にほとんど反りがなく直線的であることが特色である。比較的地味な外観に比し、堂内部は貫(ぬき)、梁(
きのものである。慶安2年(1649年)には大規模な修繕、昭和36年(1961年)には解体修理が行われている。 なお、本堂に置かれた厨子に巡礼者が書いた墨書落書きがあり、その最古のものに大永5年(1525年)の年号が見られる。 また、院号の「三蔵院」は、浄土宗の開祖・法然上人、第二祖・聖光上人、第三祖
〔仏〕
東温市(とうおんし)は、愛媛県の中予地方に位置する市。愛媛県の市では唯一、海に面していない。 道後平野の扇頂部に位置する。市内を重信川とその支流が貫流し、小扇状地を形成している。 西は松山市に、南は皿ヶ嶺連峰を境に久万高原町に、東は西条市に、北は高縄山地を境に今治市に接している。松山市とは平野部が
その後、廃れていたが応徳元年(1084年)に白河天皇の勅願により津守国基が再興した。この時の再建工事の折に土中より『七宝荘厳極楽浄土云々』と書かれた金の宝鐸が見つかり、それに因んで天皇から「荘厳浄土寺」の寺号を賜っている。 住吉社の神主であった津守国基はその財力で大伽藍を建てて完成させ、永長元年(109
御詠歌:たのくぼの 瑠璃の光を 身にあびて 病みもなやみも いゆる尊さ 弘法大師により大同4年(809年)に創建された。創建当時、片手の悪い人が働くことができなかったが、当寺に百日祈願すると回復して働くことができるようになり、片手拝みでも御利益を頂けることから隻手薬師と呼ばれるようになった
⇒ とうちん(東浄)