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第1814号。 昭和20年10月6日付 海軍辞令公報 甲 第1943号。 昭和20年11月7日付 海軍辞令公報 甲 第1974号。 佐世保海軍軍需部 兵器還納目録 波號第二〇七潜水艦。 世界の艦船 No. 469 増刊第37集 『日本潜水艦史』、海人社、1993年。 世界の艦船 No. 791 増刊第114集
その系譜と戦歴全記録』160頁。 ^ a b 『艦長たちの軍艦史』458頁、『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』160頁。 雑誌「丸」編集部『ハンディ判 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
波号第百四潜水艦(はごうだいひゃくよんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の4番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。 マル戦計画の輸送潜水艦小型、第4601号艦型の4番艦、仮称艦名第4604号艦として計画。1944年7月1日、三菱重工業神戸造船所で建造番号749番船として仮称
波号第百一潜水艦(はごうだいひゃくいちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の1番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。 マル戦計画の輸送潜水艦小型、第4601号艦型の1番艦、仮称艦名第4601号艦として計画。1944年6月8日、川崎重工業泉州工場で仮称艦名第4602号艦と同時
潜水艦と命名されて波百一型潜水艦の3番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。10月10日、艤装員事務所を神戸川崎造船所内に設置し事務を開始。21日、進水。進水後の艤装は川崎重工業本社艦船工場で行う。 1945年2月3日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に定められ、第六艦隊第十一潜水戦隊に編入。
月1日、波号第百九潜水艦と命名されて波百一型潜水艦の8番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。12月11日、艤装員事務所を三菱神戸造船所内に設置し事務を開始。 1945年1月10日、進水。3月10日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に定められ、第六艦隊第十一潜水戦隊に編入。同日、呉へ向け神戸
。8月25日、波号第百六潜水艦と命名されて波百一型潜水艦の6番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。10月21日、艤装員事務所を三菱神戸造船所内に設置し事務を開始。30日、進水。 12月15日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に定められ、第六艦隊第十一潜水戦隊に編入。同日、伊予灘へ向け神戸発
水艦と命名されて波百一型潜水艦の5番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。10月20日、艤装員事務所を神戸川崎造船所内に設置し事務を開始。31日、進水。進水後の艤装は川崎重工業本社艦船工場で行う。 1945年2月19日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に定められ、第六艦隊第十一潜水戦隊に編入