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柳亭 小燕枝(りゅうてい こえんし)は、落語の柳派に属する名跡。 柳亭小燕枝 - 初代燕枝の著「燕之巣立実痴必読」(通称「燕枝日記」)には明治3年 - 5年ころの弟子として小燕枝(俗称、喜作)とあるが詳細不明。 初代柳亭小燕枝 - 後∶三代目柳亭燕路 二代目柳亭小燕枝 - 後∶初代柳家小ゑん 三代目柳亭小燕枝
小燕枝。 1930年11月には睦会復帰で六代目都々逸坊扇歌、1943年5月には三代目柳亭燕枝を襲名した。 柳家小きんに小燕枝の名前を襲名させようと動いたが、小きんの師匠の四代目柳家小さんが「小三治」を継がせる腹づもりがあり、両者間の話し合いで小燕枝襲名の話はなくなった。 三代目月の家圓鏡
温厚篤実な性格で、何を言われても「結構です。」と言うので「お結構の勝っちゃん」と呼ばれた。客に対しても丁寧な物腰で語る芸風に人気があった。ただ、それは平時のときであり、酒が入ると一変。酔うと酒が入っていない時の物腰の柔らかさとは裏腹に人格が変わって荒れるのが欠点だったと言う。「(八代目桂)文楽がなんでェ!」と
落語の文献の研究、史料の収集に力を注いだ。特に初代談洲楼燕枝の研究には没頭した。晩年「燕枝」の襲名も計画していた。 自他とも認める筆不精だったが、ワープロがまだ珍しかったころにワープロを購入してからは、独演会などの案内などは、自分で作成し、案内状や手紙を書く回数が増えていった。
三遊亭若圓遊(1917年 - 1918年) 4. 四代目春風亭柳條(1918年 - 1932年) 5. 春風亭晴志(1932年 - ?) 6. 四代目春風亭柳條(? - 1943年) 7. 五代目柳亭燕路(1943年 - 1950年) 活動期間 1911年 - 1950年 主な作品 抜け裏 備考 抜け裏の作者 表示
柳亭 燕雀(りゅうてい えんじゃく)は、落語家の名跡。 談洲楼燕雀 - 後∶四代目三升家勝次郎 柳亭燕雀 - 後∶三代目月の家圓鏡 柳亭燕雀 - 後∶三代目春風亭柳好 春風亭燕雀 - 三代目春風亭柳好門下で「好燕」から燕雀を名乗るが視力を失い29歳で引退。得意ネタは「羽織の遊び」で「羽織の燕雀
りゅうし)1868年9月(慶応4年 - 明治元年)9月 - 1927年(昭和2年)4月20日は、和歌山県の落語家。本名:飯森 和平。通称は住所から「牛込の柳枝」。また、俗に小ぢんまりとした顔つきから「鼠の殿様」。 得意演目は人情噺、滑稽噺、狂歌噺などいろいろ演じきった。姉の養子が、後の三代目桂三木助である。
- 春風亭正太郎オフィシャルブログ「進め!正太郎」Powered by Ameba 2020年7月1日 ^ “令和3年 春 真打昇進襲名披露興行”. 落語協会 (2020年11月1日). 2020年12月29日閲覧。 ^ "62年ぶり復活 春風亭柳枝が真打ち昇進襲名披露初日 初代ゆかりの「子別れ」で決意表明"