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江戸期は徳島城下の町人町のひとつで、明治22年から徳島市の町名となる。現在は西船場町と西大工町の間に位置し、東は新町橋筋を挟んで東新町に、西は佐古橋に接続する県内屈指の商業地区で、歴史的に衣料品の問屋が軒を並べている。 江戸期には、新町川から船場町に続く二筋目の町で、西の眉山側には寺町があり、南は東新町・古物町、喜多は佐古となっていた。
一丁目から南新町二丁目まで存在する。郵便番号は770-0913。 徳島市の東部に位置し、東新町商店街と家具の町といわれる東大工町の中間に位置し、南は籠屋町北は新町橋の両商店街に隣接している。 元は古物町の一部で昭和17年より現在の町名となった。昭和50年に東新町の一部を編入。
徳島市の東部に位置し、西から北を園瀬川が流れる。津田浜之町との境を徳島県道29号徳島環状線が走る。北東端には徳島県道120号徳島小松島線(旧国道55号)がかすめて通り、園瀬川に架かる津田橋で対岸の昭和町八丁目と結ばれている。また、津田山の登山道を通して津田西町とつながる。 園瀬川 大正15年から現在の町名となり、昭和39年に一部が新
日本 > 徳島県 > 徳島市 > 城東町 城東町(じょうとうちょう)は、徳島県徳島市の町名。渭東地区に属している。城東町一丁目から城東町二丁目まで存在する。郵便番号は〒770-0862。 人口:2,233人(2009年12月。徳島市の調査より) 世帯数:1,007世帯(同上)
が変わり、内町地区のほうが賑わうようになった。新町地区でも再開発による活性化が計画されたものの、バブル崩壊後の不況で頓挫し、その後丸新の閉店、映画館の閉館など、大型施設がの閉鎖が相次ぎ、さらに1998年(平成10年)に明石海峡大橋後、関西に消費の流出、郊外店の増加などの原因が重なって、大きく衰退するに至っている。
日本 > 四国地方 > 徳島県 > 徳島市 > 東山手町 東山手町(ひがしやまてちょう)は、徳島県徳島市の町名。新町地区に属している。東山手町一丁目から東山手町三丁目まで存在する。郵便番号は〒770-0906。 人口:179人(2010年11月。徳島市の調査より) 世帯数:83世帯(同上)
張から移し、最初は寺島に集め、後に眉山山麓の当地に移転させた。その移転年代は不詳。 勝瑞から移された寺院は、徳川家の位碑を安置する浄土宗の還国寺・浄智寺、真言宗の源久寺・東宗院、日蓮宗の本行寺・寿量寺・妙永寺・善学寺・妙典寺・本覚寺・妙長寺な、真言宗の来福寺・善福寺・願成寺・般若院、浄土真宗の慈船
座があった。昭和20年6月22日米軍の500hg爆弾攻撃と、同年7月3日の徳島大空襲では、著しい戦火を受けた。戦後、一丁目・二丁目は富田町歓楽街の外延的拡大を示し、バー・キャバレー・ホテルなどが建てられ、秋田町・鷹匠町・富田町と共に市の歓楽街と化した。 同42年に西富田公園設置。同50年に南新地の一部を編入。