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江戸期は徳島城下の町人町のひとつで、明治22年から徳島市の町名となる。現在は西船場町と西大工町の間に位置し、東は新町橋筋を挟んで東新町に、西は佐古橋に接続する県内屈指の商業地区で、歴史的に衣料品の問屋が軒を並べている。 江戸期には、新町川から船場町に続く二筋目の町で、西の眉山側には寺町があり、南は東新町・古物町、喜多は佐古となっていた。
が始まり、1995年(平成7年)3月21日に丸新百貨店が、2005年(平成17年)にダイエー徳島店が閉店して核となる大型店が無くなり、2006年(平成18年)には映画館も無くなるなど集客施設が相次いで消失したことで衰退が決定的になった。 2022年(令和4年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
一丁目から南新町二丁目まで存在する。郵便番号は770-0913。 徳島市の東部に位置し、東新町商店街と家具の町といわれる東大工町の中間に位置し、南は籠屋町北は新町橋の両商店街に隣接している。 元は古物町の一部で昭和17年より現在の町名となった。昭和50年に東新町の一部を編入。
徳島市の東部に位置し、西から北を園瀬川が流れる。津田浜之町との境を徳島県道29号徳島環状線が走る。北東端には徳島県道120号徳島小松島線(旧国道55号)がかすめて通り、園瀬川に架かる津田橋で対岸の昭和町八丁目と結ばれている。また、津田山の登山道を通して津田西町とつながる。 園瀬川 大正15年から現在の町名となり、昭和39年に一部が新
四国八十八箇所霊場の第十四番札所。延命院(えんめいいん)と号す。宗派は高野山真言宗、本尊は弥勒菩薩。 阿波国分寺 四国八十八箇所霊場の第十五番札所。薬王山(やくおうさん)、金色院(こんじきいん)と号す。宗派は曹洞宗。本尊は薬師如来。 観音寺 四国八十八箇所霊場の第十六番札所。光耀山(こうようざん)、千手院(せんじゅいん)と号す。宗派は高野山真言宗、本尊は千手観世音菩薩。
新町川からの助任川の分岐店(助任川から)。奥が加茂地区。 田宮川。この付近では両岸とも加茂地区である。 不動地区とは鮎喰川、応神地区とは吉野川、渭北地区・内町地区とは新町川、佐古地区とは田宮川を挟んでいる。ただし、渭北地区との境の一部は新町川の手前、佐古地区・不動地区との境の一部は田宮川・鮎喰川の向こう側である。応神地区との間に橋はないが、他の地区とは橋で結ばれている。
張から移し、最初は寺島に集め、後に眉山山麓の当地に移転させた。その移転年代は不詳。 勝瑞から移された寺院は、徳川家の位碑を安置する浄土宗の還国寺・浄智寺、真言宗の源久寺・東宗院、日蓮宗の本行寺・寿量寺・妙永寺・善学寺・妙典寺・本覚寺・妙長寺な、真言宗の来福寺・善福寺・願成寺・般若院、浄土真宗の慈船
座があった。昭和20年6月22日米軍の500hg爆弾攻撃と、同年7月3日の徳島大空襲では、著しい戦火を受けた。戦後、一丁目・二丁目は富田町歓楽街の外延的拡大を示し、バー・キャバレー・ホテルなどが建てられ、秋田町・鷹匠町・富田町と共に市の歓楽街と化した。 同42年に西富田公園設置。同50年に南新地の一部を編入。