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1940年(昭和15年)2月23日、仮称第113号艦は「萩風」(ハギカゼ)と命名される。同日附で姉妹艦「嵐」や敷設艦「津軽」等も命名されている。「萩風」は同年6月18日進水。11月15日附で井上良雄中佐(11月1日まで吹雪型駆逐艦「漣」艦長)は「萩風」艤装員長に任命される。同時期、萩風艤装員事務所を設置。
日本水雷戦史432頁『雷(いかずち)』 ^ #海護総司令部日誌(3)p.28『(九)十八日大海指第四〇〇號ニヨリ旗風、汐風、千鳥、天草、八十島、海防艦第十二號ヲ作戰ニ關シ聨合艦隊長官ノ指揮下ニ入ル』、同日誌p.36〔6月18日〕 ^ 本土方面海軍作戦227頁『硫黄島の防備強化』 ^ #S19.06十一水戦日誌(1)p
羽風(はかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の7番艦である。艦名は鳥等が飛び立つ際に生じる風、舞う人の袖から生じる風の雅称を意味する[要出典]。 三菱長崎造船所で建造。一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。 1933年(昭和8年)3月3日に発生した昭和三陸地震のとき、「羽風
陽炎型駆逐艦 > 雪風 (駆逐艦) 雪風(ゆきかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。陽炎型駆逐艦(一等駆逐艦)の8番艦。 太平洋戦争(大東亜戦争)当時の主力駆逐艦であった甲型駆逐艦(陽炎型駆逐艦、夕雲型駆逐艦)38隻の中で、雪風は唯一終戦まで生き残った。日本海軍の駆逐艦
風雲(かざぐも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。 風雲(かざぐも)は、日本海軍が浦賀船渠で建造し、太平洋戦争で運用した駆逐艦。夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の3番艦である。 1940年(昭和15年)12月末に起工、1942年(昭和17年)3月28日に竣工し、第10駆逐隊に所属した。
道を通つて歸京の豫定である(記事おわり) ^ 【東京本社特電 五月二日】 英國皇帝陛下の御名代として日本皇帝陛下へガーター勲章御贈進の爲め尊き使命を帶びせらるゝ皇太子グロスター公殿下の御召艦サツフオーク號は城ケ島沖に出迎への第三驅逐隊灘風。島風。夕風。シホ風に護され加古。古鷹の兩接伴艦及びい飛行機隊
秋風(あきかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型駆逐艦(一等駆逐艦)の9番艦である。艦名は立秋に秋の気配を感じさせる風を意味する[要出典]。しかし1928年(昭和3年)の資料では「秋吹く風」に由来するとのみ記載されている。 は1919年(大正8年)5月24日、峯風型姉妹艦や樅型駆逐艦と共に命名された。同
灘風(なだかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型駆逐艦の5番艦である。1940年に哨戒艇に改造され「第二号哨戒艇」と改名した。艦名は灘に吹く風に由来する。 舞鶴海軍工廠で建造。一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。竣工後直ちに第三駆逐隊に編入された。 1937年(昭和12年)から1939年(昭和