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四戰隊(摩耶鳥海缺)四驅(2D缺)十驅逐隊(秋雲缺)七驅逐隊、朝潮荒潮ヲ率ヰ東京灣出撃灣外ニテ摩耶ヲ併セ十九日早朝敵ノ進攻地點ヲ推定索敵ニ努メタルモ敵情ヲ得ズ/三.二十日早朝敵ノ補給或ハ再度空襲準備地點ヲ水偵索敵ヲ行ヒタルモ又敵情ニ關シ得ル所ナシ/四.二十日午後ハ五戰隊(那智缺)祥鳳及二水戰(驅逐隊缺
雲、夕雲、巻雲》、第8駆逐隊《朝潮、荒潮》)を中心に『前進部隊本隊』を編制。 その他の部隊・艦を指揮して日本本土を出撃した。 その後、会敵することなく作戦中止となり、各艦・各隊は母港に帰投した。 途中、2隻(摩耶、巻雲)はソ連船調査のため前進部隊から分派され、他艦に遅れて横須賀に戻った。
夕霧(ゆうぎり / ゆふぎり)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、東雲型駆逐艦の3番艦である。同名艦に吹雪型駆逐艦(「特II型、綾波型」)の「夕霧」がある為、こちらは「夕霧 (初代)」や「夕霧I」などと表記される。 1899年3月10日、イギリス・ソーニクロフト社で竣工し、水雷艇(駆逐艇)に類別。同年6
。これに伴い、煙突は2本増やされて4本となった。海上公試では、白雲は31.819ノット、朝潮は31.058ノットを記録している。また暁型と同様、舵を釣合舵に改正した。 兵装は、同じ第二期海軍拡張計画で建造された暁型の構成・配置が踏襲されており、艦砲として司令塔上に40口径7.6cm砲(安式十二斤速射砲)1門、また副砲として40口径5
認許。 発注時の艦名は第九号水雷艇駆逐艇。1899年10月31日、イギリス・ソーニクロフト社で竣工。翌年3月14日、佐世保に到着。1922年4月1日、雑役船(曳船兼交通船)に編入。1924年(大正13年)10月8日、廃船認許。
コマ7 「○軍艦發著 …水雷艇驅逐艇雷ハ同日新嘉坡ニ向ヒコロムボ拔錨、同夕霧ハ本月二十二日亞丁ニ向ヒポーㇽト、サイド拔錨、同叢雲ハ一昨二十三日橫須賀ヘ投錨セリ(海軍省)」 ^ 「明治33年 達 完:6月」 アジア歴史資料センター Ref.C12070044300
明治32年4月17日『官報』第4734号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ4 『○軍艦發著 …同吉野ハ同日品海拔錨橫須賀ヘ投錨一昨十五日神戸ニ向ヒ同港拔錨、水雷艇驅逐艇東雲ハ同日橫須賀ヘ投錨セリ(海軍省)』 ^ 「明治33年 達 完:6月」 アジア歴史資料センター Ref.C12070044300
薄雲(うすぐも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、東雲型駆逐艦の6番艦である。同名艦に吹雪型駆逐艦(特I型)の「薄雲」があるため、こちらは「薄雲 (初代)」や「薄雲I」などと表記される。 発注時の艦名は第十号水雷艇駆逐艇。1900年2月1日、イギリス・ソーニクロフト社で竣工し、水雷艇(駆逐艇)に類別。同