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の冷凍船にかなり転化していた。 この状況に対応するために鉄道省は、当時冷蔵目的で次第に普及しつつあったドライアイスを利用して冷却することを計画し、1929年(昭和4年)から1930年(昭和5年)にかけて冷凍魚と枝肉の輸送試験を行った。この試験でドライアイス冷却の
気式は保守が容易であるが重くコストが高く、直結式はその逆の特徴を持っていた。低温輸送のために特に断熱性に配慮されており、熱貫入率という値で測定した断熱度は国鉄歴代の冷蔵車でもっとも優れていた。 試験では概ね所期の性能が得られた。ただし、在日米軍用にアメリカ製冷凍機を取り付けたレ9000形、レサ700
1955年(昭和30年)から1957年(昭和32年)に掛けて更新修繕が実施された。この時に二段リンクに改造されると共に、断熱材がアルセルボードに交換された。 各年度による改造所と改造数の関係は以下のとおりである。 昭和30年度 - 130両 五稜郭工場 15両 大宮工場 40両 高砂工場
620mm、荷重12tで、断熱材は戦後の資材難の時期にあたったため粗悪な代用断熱材が使用され、車両によって違っている。使用されたものはフェルトと日本紙の組み合わせ、杉皮の繊維を固めたもの、国産のコルクなど雑多なもので、この頃から車体の隅に断熱材の種類が表記されるようになった。
めに断熱材の追加が行われた車両では、本来の軸重制限を超過した車両もあったという。 1950年(昭和25年)から更新修繕が開始され、断熱材がコルクから岩綿とアルセルボードに変更されている。一方、この頃から多くの貨車に対して二段リンク式への改造が進められたのに対して、本形式では対象とならなかった。このた
えられた。牛乳は1斗3升の缶に入れたものを床に並べて輸送されていた。しかし8t車で100本程度、12t車で150本程度しか搭載できず、本来の貨車の許容荷重に対して大幅に少ない量しか積載できなかった。このため輸送量が多い時は缶の上に板を置いて二段積みにしていた。これを解消するために、最初から棚を車内に
から改造されたレ9000形についても説明する。 戦前に生産されたレ2900形を改良して登場した、戦後初めての天井氷槽式冷蔵車である。車体骨組からの熱通過を抑える設計を行い、断熱材も厚く取ったために従来の車両よりも保冷性に優れていた。全長8,050mm、全幅2,680mm、全高3
- 大阪、下関 - 新橋、青森 - 上野などが主な輸送区間であった。 氷槽はあまり使用されなかったために途中で撤去され、その分荷重が増加(5t→7t)している。 1911年(明治44年)9月の車両称号規程制定により、冷蔵車には記号「レソ」が割り当てられ、レ1 - レ10はレソ200形(レソ200