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タキ15004)から改造されタキ3500形に改造編入された車である。改造内容は加熱管と点検蓋を撤去した程度の最小限であった。 落成当時の所有者は、内外輸送、協和醗酵工業の2社であり、協和醗酵工業は1両(タキ3535)のみの所有であった。後年内外輸送所有車のうち12両(タキ3525 - タキ3534、タキ3536、タキ3537)が日本陸運産業へ名義変更された。
mmの荷役用片引き扉が設けられている。引き戸は、初期のものは木製であったが、後期製造車は鋼製となり、後に木製から鋼製に交換されたものもある。側板には、後年、補強として鋼板の筋交いが設けられたものが多かった。床と屋根は木製である。妻面上部には、1個の通風器が設置されている。 台枠は、前級から引き続いて鋼製である。軸ばねの支持
0形(6両)、タキ7600形(2両)、タキ19700形(6両)の12形式がある。 落成当時の所有者は、興国人絹パルプ、東邦亜鉛、日本曹達の3社であった。1960年(昭和35年)8月3日に興国人絹パルプ所有車3両(タム3500 - タム3502)が三谷産業へ名義変更された。
日立セメント(ホキ7 - ホキ9→ホキ3507 - ホキ3509) 日立製作所 3両 東京都水道局(ホキ10 - ホキ12→ホキ3510 - ホキ3512) 汽車製造製 3両 東京都水道局(ホキ13 - ホキ15→ホキ3513 - ホキ3515) 日本車輛製造 3両 東京都水道局(ホキ16 - ホキ18→ホキ3516
虫網を貼り付けたヨ8000をバンガローとして使用するもので、編成はDE10+オハフ50+ヨ8000×18両であった。翌年には高松・松山 - 内子・伊予大洲間で「大洲内子バンガロー列車」という同様のイベント列車が運転された。伊予大洲駅で窓に防虫網
り、JRに継承された一部の車両を除く全車が廃車された。 旧国鉄では乗務員からは、後継のヨ6000よりも居住性が良好(軸距が長く蛇行動が少なく、長椅子がより長い)だったため、ヨ6000やヨ8000に比べると古い形式であったが好評であった。 またヨ5000の形式を短縮してヨゴレやヨゴマルとも呼ばれていた。
乗務員扉を新設したもの等、工場によって改造内容が様々であるため、形態的にも多様であった。 改造種車となったワ1形は、明治から大正にかけて製造された古典貨車であり、改造時にはかなり老朽化が進んでいたが、走り装置には手を付けず、古典的なシュー式のままであった。なおかつ元が貨車であったため、貨物を積載した
本車は、新車として設計・製造されたので鋼製車であり、車体も車掌車としての取り扱いを考慮して従来の片側デッキから両側デッキ構造となっている(デッキ仕切りは鋼丸棒組み立て)。4,200 mmの軸距と、乗り心地を考慮したスパンの長い重ね板ばねの担いばね、一段リンク式軸箱支持の走り装置をもつ車体は、4枚の窓が中央に