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国有鉄道(国鉄)及び1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に在籍した私有貨車(タンク車)である。 本形式は、酢酸ビニール専用の 20t 積タンク車として1957年(昭和32年)9月5日から1964年(昭和39年)10月30日にかけて5ロット10両(コタサ4500 -
台湾向け貨車の特徴としては、車軸が短軸であること、自動連結器の高さが本土向けより20 mm 高い900 mm であること、自動連結器が下作用式であること、連結器の緩衝器が輪ばね式であることである。特に短軸であるため台枠の構造が本土向け貨車と異なっており、台枠側梁と長土台間の距離が大きいため、長土台受けの構造が山型鋼を用いて強化されている。
成ベースで約19か月と短く、1937年(昭和12年)6月28日には早くも本形式の改良型(炭箱容積の拡大18.3 m3→18.5 m3)であるセム4500形が完成した。近代的な石炭車として開発され全鋼式、底開き式である。ホッパ外壁に補強材があり本形式以降の二軸石炭車との識別点となる。
セム9779)が製造された15 t積み石炭車である。製作は川崎車輛、汽車製造、新三菱重工業の3か所にて行われ、落成後全車門司鉄道局へ配置された。(後に少数の車両が四国へ移動した)前級であるセム6000形に対して台枠を強化し、溶接による製作法を採用した。 1957年(昭和32年)度に本形式を発展させた17 t積み
て運転室の側面開口部面積が縮小されており、水タンクと炭庫が運転室より張り出したデザインとなっている。 4510形は当初は煙突上端にキャップを付けた化粧煙突を装着していたが、後年、4500形に類似の簡素なテーパー付きパイプ煙突に変更されている。 また、4510形は、北海道で使用されたこともあって、竣
落成当時の所有者は、北海道日産化学、日産化学工業の2社でありそれぞれの常備駅は函館本線の五稜郭駅、高山本線の速星駅であった。その後1975年(昭和50年)10月11日に日産化学工業所有車2両(コタキ4752・コタキ4754)がセントラル硝子へ名義変更され常備駅は宇部線の宇部岬駅へ移動した。
落成時の所有者は、大日本木材防腐、北日本防腐木材工業、新宮商行の3社であり、1969年(昭和44年)5月26日に北日本防腐木材工業所有車2両(コタキ2701、コタキ2703)が東北ボールへ、更に1971年(昭和46年)12月22日に青森木材防腐へ名義変更された。
- キ313では羽根車の回転翼は9枚としロータリー覆いの側面には可動翼を備える形へと変更、車体後部の連結面には風除板を追加、炭水車は溶接構造となり炭庫上部の防雪覆いが製造時から備えられた。最後の製造となった1940年(昭和15年)製のキ614, キ615はロータリー覆いの形状を若干変更、車体側面の